~孫の具合が悪い?~
元気はあるのに両眼の瞼の腫れがチョッと気にはなった。
午前中は、母親との約束らしく、残っている宿題の仕上げに取り組んでいる孫たちの光景を確認しながら老妻は孫の昼食づくりに精を出していた。二人の小学生の孫の一人が明日が誕生日である。お祖父ちゃんお祖母ちゃんからの「誕生日の贈り物」にはすでに要望があるようだ、全部の宿題がどうやら終わったような気配がお祖母ちゃんには伝わって来たらしい。そして、要望の「品」も伝わったようだ。
お祖父ちゃんからの誕生日の贈り物。
そんなものを受け取れる文化の中で育っていない世代の小生夫婦は時としてその対処方法に戸惑いを感じる。ともあれ、張り切っている(笑)孫へのご希望のプレゼントを買うために大型スーパー・イーオンまで車で行くことになった。車中の興奮ぶりが凄い。そんなに嬉しいことなのか。買い求めての帰りの車中も興奮の坩堝であった。
帰宅して「塾に行く」孫を送り出してホッとしていると、嫁が早めに帰宅した。塾から「目が充血しているから」との一報があり、これから眼科医に連れて行くとのこと。
祖父母の責任などある訳が無い。そんな思いはありながらも意気消沈する老夫婦。小生も、「こんな筈じゃない」と自らに言い聞かせながらも容体が気になって仕方がない。わが子の子育ての時代にこんなに心痛する状況は記憶が無い。これは、親ではない祖父母の心理状態なのだろうか。自問自答を繰り返していると、元気な声で「ただいま!!」と車から降りてきた。ホッとする爺婆の姿。取り分け小生をご存知の方なら「失笑・苦笑」のことだろう。こんな筈ではないのが祖父母人情なのです!!(笑)その時期がやって来たらこのブログを思い出していただきましょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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