~これって「加齢症」の証??~
言い訳は得意である。
孫たちと終日を過ごし、振り回されるお祖父ちゃんは時間の流れが1年前の夏とは雲泥の差である。爺婆とのゆったりしたリズムで気儘な老人ホーム的生活が一変した今夏であるのはホントの話。小さな計画も数時間の間合いがあると「孫リズム」の闖入で全てどっかへ消えてしまう。これもホントの話。「そんなこと聞いていないよ」という飛び込みリズムも日常茶飯事。これもホントの話。
てな具合で、これをしたらブログでも書いて皆さんに話しかけてみようか、と考えていても孫の現実がその案件をどこかへ運び出してしまう。今夏はそんなリズムも多く、当ブログの飛び石のような休刊も多かったように思う。以上が言い訳であります!!(笑)
これって、認知症予備軍の兆しなのだろうか?
決して本気で語り掛けているわけではないのだが、ホンの数分間はそんな恐怖心らしき症状を呈することがある。昨日もブログが休刊になってしまった。他人事みたいな表現であるが、就寝前に気づいて驚く始末である。室伏選手の世界陸上大会での名実ともに素晴らしい『金メダル』に感動しながらふと考えてみると、ゴールドメダリストの父親世代であると気づいた。画面に映る父親の表情を見ると我が加齢の実情をイヤというほど見せつけられるのである。しかし、すがすがしい表情は良薬にもなってくれたのが嬉しい。
書いたつもりにならないためにも、今朝は起きてすぐにパソコンに向かうことにした。
昨日、今春退職した後輩の校長さんから残暑見舞いの葉書が届いた。3000メートル級の山々に登山して、時間を作り出しては農作業に励んでいるとの内容が、妙に新鮮に受け止められた。その内に彼も「お祖父ちゃん」になることだろう。そんな日々に、ゆっくり「遠い日の思い出話」をしてみたいと願うのも変かな?
早朝は、可愛い孫たちの襲来もない。今日は公務のために東京に出向きます。終日の務めなので、孫軍団の面倒は老妻に一任である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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