~昨夜の豪雨で墓石が洗われて・・~
「夕べの雨で大助かりね」と妻が呟きながら墓石を洗い始める。
昨年までは茅ヶ崎から盆暮れの墓参にだけ馳せ参じた。従って事前の掃除は長男一家に全面委託の状態にあった。孫たちから「お墓のお掃除は終わりました」との電話を貰うたびに恐縮する老夫婦であったが、4月から転居して来たので彼らに委託することはなくなった。
昨日のこと。
古河市の仕事に早朝出発する小生を見送りながら、妻が声を掛けた。「明日はお盆前のお墓掃除に行けますかね」と。夫は、「行くぞ」と応えながら玄関を出た。夜のゲリラ的な集中豪雨の襲来を受けている最中には夫婦の頭の中には「明日の実行」は無理だろうな、と同じ考えをしていたようだ。
体内時計は正確に起床を促してくれる。晴天時の4時であれば「東の空」はそろそろ明るくなるのであるが今朝は少々暗く感じた。準備している掃除用具の確認をしながら雨戸を開ける。墓参には歩禅コースとして歩くのが常套手段であるが今朝は躊躇してしまうような空模様である。嫁の自転車を借りた妻と一緒に自分の自転車で出向くことにした。躊躇の時間もあり(笑)、結局は出発が5時近くになってしまった。
用意周到な妻が蚊取り線香まで持参していたのに苦笑しつつも、感心しながら二人で掃除を始めた。嫁の実家が菩提寺であるので、霊園も境内にあり勝手もわかるので掃除も捗る。両親が眠る墓地の正面が霊園の中に建設された東屋(休憩所)である。掃除を終えてホッとして休憩できるという立地条件も最高であることが妻としては至福に感じるらしい。妻の両親が眠る墓地も、今夏のお盆から「娘夫婦」の手で掃除が出来ることになったことも、妻は娘として満足なようである。
綺麗に掃除が出来た。
6時を数分過ぎた。鐘楼に上がって「6時の時報」のつもりで鐘をついた。耳をつんざくような音であるが余韻の「ゴ~ン」が響き渡り、腸まで沁みこんでくる。心が落ち着く気分になり爽快である。帰宅するころから夏の日差しの兆候が現れてきた。今日も暑くなるらしい。
シャワーを浴びてすっきりした。妻が差し出す朝一番のお茶の美味しいこと!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿