2013/06/11

『時』の移り変わりは、『時刻』の表現法が証言する?

 

 昨日(=6月10日/時の記念日)の夕暮れの話である。

 老夫婦の夕食は年間を通じて午後6時である。夏場の6時は周囲から子どもたちの遊びに興じる歓声に似た声が聞こえる程明るいが「定刻主義」は一貫している。変えることはない。他人は首を傾げる。故郷の熊本ではこんな風変わりな性格を「もっこす」(=変人・頑固者)と冷めた表現をする。良く言われた!(笑)

 余談はさておいて、『時』の話題である。

 ラジオを聴いている小生の耳に飛び込んだアナウンサーの声。

 今、午後5時55分です。全国のリスナー中には6時前5分(6時5分前)と言う表現に馴染んでおられる方もいらっしゃるでしょう。ラジオの前のあなたはいかがでしょうか。

ふと部屋を見回した。老夫婦が家を建てて長男宅の「離れ」に住み始めて2年が過ぎている。部屋には掛け時計がある。長針と短針が稼働する時計である。長い針が12、短い針が6であれば「6時」となる。現代ではこの種の表示方式はアナログと言われる。 05:55 と数字が並んでいる時計では5時55分となるのが自然であり、デジタルと言うようだ。

 アナログとデジタル。

 アナログが旧式でデジタルが現代式であるらしい。電波塔も東京タワーから東京スカイツリーに、つい先日、替わったばかりである。憧れの電波塔も『時の流れ』には勝てない。東京タワーはアナログで、東京スカイツリーはデジタルである。生活様式が時計の表示にも顕著になっていることを感じた瞬間であった。

 英語の表現でも、6時前5分と5時55分の二通りを学んだ世代がまだ生存する。今の英語学習表現では「前5分」という行は殆ど闇に葬られている状況下にある。デジタル時代に生きる世代人には面倒な表現は厄介の様だ。

 時代が変わることに反論などできない。

 言葉の表現も変化することに異論もない。ただ、何となく時が流れて人情まで流されていってしまうことが寂しいだけである。当ブログの愛読者の皆さんは、時計の読み方はどちら派なんでしょうか?

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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