2013/06/02

高齢者とは、「明日は我が身」と思ったのも束の間だった!!


 昨日の朝刊のトップ記事(写真版)の数字が目に飛び込んだ、

 高齢者群は65歳からであると認識はしているが実感は伴っていない(?)。いや実感と認知したくないのかな(笑)。認知症と言うと、まだまだと言い放つが、痴呆症と言うと、なぜかドキッとするのは謎である。

 親世代の病名が痴呆症だったからだろうか。病名も美称化が確実に進んでいることも認知はしているが、内面的な心情はそんなに容易に拭い去れないようであることもわかるような気がする。

 ともあれ、現状の『事実』(推計もあるが)として新聞記事に目を通すと最近の老化現象の症状がこの数字の中に己も入籍(?)したのではないか、と不安になるのも事実である。

 当地に引っ越す際に、『離れ』の家を設計することになった。老脳の意識は「ミニ・老人ホーム」づくりで充血していた。バリアフリーと、水廻り(トイレ・洗面所・浴室)の一体化と、老妻が立つ炊事場への気遣いには気持ちを込めた。良かれ、と作ったミニ・老人ホームも実際の使い勝手の悪さには苦笑である。

 50分間・6500歩は我々老夫婦の「歩禅日課」である。

 今朝も4時半から50分間を、定番コースとして歩いて来た。努力はしても、いつまでも歩ける保障はどこにもない。いずれは閉じこもりになってしまうのかも知れない。我が子たちに迷惑だけは掛けたくないが、掛けてしまうのだろう。

幸か不幸か、小生は未だ山ほどの仕事を請けている。示範授業も請け負っている「身の程知らず」の高齢者ではある。予備軍の年齢集団に居るわが身としては「なるようにしかならない」将来のことを案ずることは止めた。今日も、一日を元気で全身を動かせる幸せとお付き合いすることにしている。

 このブログを書くのも「昨日のことを思い出す」ための脳鍛錬の時間である。それに寄り添って読んでいただく全国の読者諸兄には感謝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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