昨日の朝刊のトップ記事(写真版)の数字が目に飛び込んだ、
高齢者群は65歳からであると認識はしているが実感は伴っていない(?)。いや実感と認知したくないのかな(笑)。認知症と言うと、まだまだと言い放つが、痴呆症と言うと、なぜかドキッとするのは謎である。
親世代の病名が痴呆症だったからだろうか。病名も美称化が確実に進んでいることも認知はしているが、内面的な心情はそんなに容易に拭い去れないようであることもわかるような気がする。
ともあれ、現状の『事実』(推計もあるが)として新聞記事に目を通すと最近の老化現象の症状がこの数字の中に己も入籍(?)したのではないか、と不安になるのも事実である。
当地に引っ越す際に、『離れ』の家を設計することになった。老脳の意識は「ミニ・老人ホーム」づくりで充血していた。バリアフリーと、水廻り(トイレ・洗面所・浴室)の一体化と、老妻が立つ炊事場への気遣いには気持ちを込めた。良かれ、と作ったミニ・老人ホームも実際の使い勝手の悪さには苦笑である。
50分間・6500歩は我々老夫婦の「歩禅日課」である。
今朝も4時半から50分間を、定番コースとして歩いて来た。努力はしても、いつまでも歩ける保障はどこにもない。いずれは閉じこもりになってしまうのかも知れない。我が子たちに迷惑だけは掛けたくないが、掛けてしまうのだろう。
幸か不幸か、小生は未だ山ほどの仕事を請けている。示範授業も請け負っている「身の程知らず」の高齢者ではある。予備軍の年齢集団に居るわが身としては「なるようにしかならない」将来のことを案ずることは止めた。今日も、一日を元気で全身を動かせる幸せとお付き合いすることにしている。
このブログを書くのも「昨日のことを思い出す」ための脳鍛錬の時間である。それに寄り添って読んでいただく全国の読者諸兄には感謝である。
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