子ども社会に起こる諸問題は須らくオトナ社会の現状がそのまま映し出していることを、もっと真剣に考えねば苦悶に堪えられず自らで自らのいのちをこの社会から断ち切った心にお弔いも出来まい。
新聞記事自体への反論ではない。
「教委や学校に都合のいい結論を出すのでは・・」と遺族の不安を抱いたり、対応に不慣れな教委が混乱し対応が遅れたりすることを避けるために「ガイドライン」が国家問題として作成されるらしい。市教委や県教委が対応しやすく、且つ遺族の憤懣をも包み込めるように作成して全国に配布する。反対する気は全くない。
文科省は、協力者会議がつくるガイドラインを全国に通知する。採否の最終判断は各自治体や教委に委ねられる。
これって?
ガイドラインを作るだけが国の仕事?作ったら配布して「採択は下部組織に丸投げ」という行(くだり)では、結局、何も変わらないのと同じではないか?当事者意識の低さに愕然とする。こんなに痛ましい事件が立て続けに起きて、その都度報道も大規模化していく時代の流れに「国家的問題」として取り上げることができない所にこそ、遺族の不満はくすぶり続けているのではないだろうか。
事件や事故の犠牲を被った「国民への思い」こそ、その采配を振るう立場のポストにいる関係者の当事者意識への期待である。その期待に反して「何事にも他人事の意識」は膨らむばかりである。子どもたちが集う『学校』という子ども社会にわが身を置くオトナ(=教員)に、「何事にも他人事の意識」ではないだろうなぁ~。
大事件や大事故と遭遇して混乱したり、対応が遅れることぐらいは常識だ。しかし、隠蔽したり先送したりする「何事にも他人事の意識」こそが問題なのである。当事者意識の共有に、もっともっと積極的に取り組んで欲しいと願うばかりである。
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