苦情や不平を言いにやって来る保護者を(誰が名付けたのか)「モンスターペアレント」と称され馴染んでしまったのが悔しいではないか。モンスターとは、「怪物」「化物」と日本語訳されて、小生の常識では「到底太刀打ちできない存在感のある相手」となっている。時流に乗った苦情軍団の誕生で小生の敬愛すべき「モンスター」はすっかり消滅して、もう忘れかけていた。いや、もう(憧れる)「モンスター」とは会えることも無いと諦めていたのである。
御年90歳。立ち振る舞いも頭髪も小生も太刀打ちできるものではない。終戦直後の教科書に墨塗りをさせた現職の教員だった、と話し始められた瞬間、70歳の小生は背筋も伸びてしまって聴き入ってしまった。豪語される内容も聴講する現職の現地の教員も視線が変わった。探し求めていた(教育関係の)「モンスター」に出会ってしまった。
恥ずかしながらこの歳になって初めて聴く「終戦直後の学校教育現場の実況中継」であった。「こうだったらしい」「こんな風だったんだって」と伝承は受けている。しかし、直に聴けたのは初めてだった。
「生を観る」とは非礼な表現か?
敢えてそう表現したくなる「モンスター」であった。その後に、今回の研修会に招請されている講師としての小生の出番であるのが何とも皮肉ではないかい??
緊張感と言う上着は身に付けない性分の小生が、上着を脱いでも緊張感と言う汗が下着まで沁みて来てしまうほどの緊張感に襲われた。「モンスター」は聴講者席に戻られて、小生のチッポケな話題に鋭い眼光を光らせて鎮座されてしまったからである。途中でハンカチを出して額の汗を拭ったのも経験すらない。興奮の汗と背中を流れるような冷や汗で『講師』という任を(時間まで)懸命に務める始末であった。
往路のJR水戸線の深緑が眼を癒してくれたが、帰路は午後9時を過ぎていたので疲れを癒してくれることもなかった。しかし、大きな衝撃と「モンスター」の実在を確認できた感激で興奮状態のままの帰宅となった。
主催者に感謝しつつ、勤務後に会場に駆けつけてくれた当地区の現職の教員諸兄に敬意を表しておきたい。
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