2013/06/08

高知で拾った「ニュース」でも、所詮は全国版コラムなり



  ホテルの部屋に配達されるのが日本経済新聞だった。

選択はできないようなので2日間の滞在中の部屋のお伴は日経新聞になった。こんな機会でないと日経をじっくり読むことも無い。じっくり読んでみると一般新聞とは構成が違うことに気付いた。思考回路の整備点検にもなった。

 全国を歩き回ると「所変われば品変わる」風の空気に触れることがありほのぼのとした気分に浸ることができる。これこそ講演行脚の醍醐味なのである。そんな心情になるのは多くは『その土地の言葉』(=方言)絡みである。

 高知では、「そうなんだ」と相槌を打つ表現が「そうなが~・そうながや」とわかった。高知市では英語の示範授業を請け負うが、そんな授業中に子どもがぽつりと「そうなが~」と呟いた。独特な高知弁も多く、意味不明なものも多いがどこの方言も耳触りが良く心までホッとする。子どもの発語の環境条件からしても、「知り得た情報を自分のモノにするため」の脳に訴える深い意味の呟きであるをわかって嬉しくなった。懇親会で再現して発声してもらってイントネーションまで理解できた。

 日経新聞のコラムの内容は目に着いた、

当然ながら全国でも同様なのである。他の地方を訪問しても、若手の育成に閉塞感すら抱いている方が多いことがわかる。育った時代の「日本の社会環境」の影響である事は事実である。一般社会と教育界の相違は、40歳代の教員の育成法に少々行き詰まり感があるところだろうか。仕方が無い!その年代の教員は「採用が少ない」時代的背景があったからだ。

いずれにしても、「後輩がなかなか育たたない」現実は、笑っては過ごせない。何故ならば、教育界で働く人種は更に次世代の人材を育成する大きな責任を負っているからである。自らの成長が保障されない人材に他者の育成を委託することは不安なのである。

今、こんな世相の中で「日本丸」は進んでいる。行く先はわかっているのだろうか。少々心もとない気分になるのは、小生も「高齢者症候群」に確かに在るようだ。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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