2011/05/08

なぜ、教師になったんですか?

 ~ある恩師との「出会い」から・・~
 昨年から舞い込んできた業務がある。
 それは、ある教育産業会社からの依頼で、「教員採用試験受験対策講座」の講師である。実は、「降って湧いた」業務でありながらも、現職校長時代から「取り組んでみたい」業務内容でもあったので飛びついたのが去年の話。
 「教員になってからでは間に合わない」という口癖が現職校長の全身に染みついたことが引き受ける決心の引き金となったのである。校長として「採用されてきた教員」と初対面で対話をするのが校長室である。開口一番で品定めができる。それは「言語運用能力」である。つまり、「お話ができる」教員かどうかを見極めるのが校長としての職能でもあると自らに言い聞かせたことが多かった。
 言語を運用する、と言えばとても硬く受け止められそうであるがそうでもない。
 てっとり早く表現すれば「対話を楽しむ」素養があるかどうかである。もっと追究して表現をすれば使用している「言葉」に彩と艶を添える表情ができるかどうかであると言及できる。表情、即ち身体表現の有無であるとも言える。明るい表情には誤解は生じえない。明るい表情には敵意はない。明るい表情を支えるのが使用言語である。なかんずく日本語の表現力が豊かであること。それは敬語と謙譲語がきちんと使いこなしているかどうか、ということにもなるだろう。
 これから「せんせい」になろうと言う若者たちに、この重要性を説いてみたい。
 それが現職時代の「叶わぬ夢」でもあった。それが、多くの諸先輩との出会いが巡り巡って「教員になる前の人種」への指導機会を与えてもらうことになったのである。
 昨年度の受講生から、今年度の受講生へのメールをもらっている。新採用教員としてこの4月から高校に勤務になった「せんせい」からのメールである。読みながら「講師」冥利の感動を禁じざるを得ない。そんな受講生との出会い、もまた人生の出会いである。出会いだらけの人生が、今日、また新しいステージの幕が開けられる。楽しみである。「先生になりたい」と考えるようになった少年の日の「あの出会い」の再現を期待している。
 本日の第1回目の講座では、届けられた「新米せんせい」の受講生体験記メールを読もう。
 そして、来年度の教壇に多くの新しい「せんせい」を送り込めるよう講義を展開しよう。そんな昂ぶる心を抑えながら今日の旅が始まる。常磐線で上野駅~東京駅~横浜駅と乗り換えて会場までまいりましょう。今年の勤務状況は後日のブログで紹介することを約束して出発です。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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