~退職後は悠々自適で・・~
今朝のラジオで70歳を超えているご夫妻の談話を耳にして考えた。
「退職後の生活がこんなに異常な展開になるとは想像だにしていませんでした」、と語る奥様の言葉を支えるようにご主人の言葉が感動的だった。教員として退職した妻が「退職後は欧州旅行でも楽しみましょう」と夢を語ってくれたことを思い出しながら、その欧州旅行のついでに訪れたアフリカの地で「孤児集団」の悲惨さに目を覆いながら歩いたあの時間が、今日の今日まで「仕事する」バージョンに変貌したことを、むしろ神様に感謝する思いでいるとの言葉であった。
退職金を投げ出して孤児救済に立ち上がった妻の情熱に圧倒されつつ、わが身も退職後の全てをその支援に「仕事する」意識が募っていることに感動する日々であるとの言葉に改めて仕事をすることは、「責任を果たす」意味であることを痛感した。
小生の生ぬるい退職後の生活と比較したら失礼になる。
しかしながら、小さな責任にも派生している小さな仕事に向かい合う自身の「仕事する」意識を、観点を変えて考え直そうと心に誓う。
今日から小さな仕事の「連続する」時間を展開する。今日は愛知県日進市、明日は春日井市、そして14日が静岡県浜松市で15日が神奈川県横浜市に予定される「ちっちゃな仕事」ではあるが、それなりの「責任感」は削減できない。それなりの意識を高揚させて「仕事する」責任を果たせるように務めてまいりましょう。ラジオから届いた先輩夫妻の奮闘に敬意を表しつつ、行ってまいります。
ブログは暫し、休刊です。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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