2011/05/16

4日間の旅の後で・・・。

 ~転居して初めての県外遠征~
 茅ヶ崎からは小田原駅を基点にして殆どが新幹線で「西へ」移動した。
 転居後は、一旦東京駅へ出てから東西南北に移動することが基盤になるようだ。東京駅に着いてふと思うことがあった。流石に日本の中心地である。つまり、「始発と終着」駅を利用することになるのが電車の選択では楽なのである。名古屋までの旅も、「のぞみ号」「ひかり号」のどれに乗っても始発駅であるので指定券も不要となる。これは旅人には有難いことである。
 今回の旅は、対象が「市内全体の教職員」、そして「小学校の保護者」と続くスケジュールから始まった。三日目は主宰する教育実践『響の会』のセミナーを浜松市で定期開催に出講であった。ここでは日本公文教育研究会との合同の研修になるので通常の教育セミナーとは趣も異なる。今回は、今までには体験しないような時間となった。公文式指導と、公立学校の指導法がこんなにも違うのかと参会者はそれぞれの思いで感じてもらったような気がする。
 小生にとっての圧巻は、「飛び込み」招請の『ひと時』であった。
 県教委の教育事務所のスタッフ(=学校教育関係者)との特設懇親会である。核心に触れる質問の鋭さに、すっかり神経が昂ってしまったのか、問われた内容以外の領域まで言及してしまったのは反省の極みである。小生の答弁(笑)が長過ぎたので、参会者の一部だけの質問に応じただけで時間の浪費となってしまった。未熟な脳味噌はすぐに熱くなって沸騰してしまうらしい。味噌汁も熱すぎれば味もそっけもないことぐらい知っておりましたのに・・(猛省)。
 最終日の横浜市での講座は、2年目を迎えた請負事業である。来年度の教員採用試験受験者が受講生なので、今回も力んでいる老体を自らが一番理解していたのだから始末悪いことだ。
 横浜から30分で帰ることができた茅ヶ崎を振り向くこともしないで京浜東北線で上野駅まで直帰する。特急「スーパーフレッシュひたち号」を利用して下車駅までたどり着いたのが午後8時前であった。
 転居後の留守は、妻が長男一家と一緒に生活していることが安心材でもあり精神安定でもある。名古屋での知人友人との趣向の違う懇親会も小生の元気の源でもある。皆さんの精一杯の接待に深く感謝しながら、長旅を愉しく思い出して今日も終わりました。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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