2011/05/30

あれから、3か月が過ぎていた!


 ~大震災の1か月前~

 いけませんねぇ~、すっかり忘れてしまっていました。

 昨日、転送のメール便で新居に資料が届いた。発行先がわかるので記憶は自然にその時点に戻っていきます。しかし、今年の2月に参加したフォーラムの事業レポートを読み返しながらも、まさに忘却の彼方に消え去ったような自らの症状に啞然としています。

 未曾有の大震災が、このフォーラムの1か月後に起きています。この衝撃で心身ともに「何かが狂ってしまう」状態に陥ったことをこのレポートでも気づかされてしまいました。遠隔地に住む後輩教員を呼びつけて強制参加させるほど力んで参加した筈なのに、昨日の時点まで一度も思い出すことすらなかったのです。

 ところで、「記憶を弄る」きっかけとなったレポートの受領で、本格的な記憶が蘇ってきたのが不思議な心情です。基調講演の講師とは行政勤務時代からの交際があり、当時は助教授という肩書の時代からですから、相応の月日の接触もあります。大いに期待している教授でもあるのでその後の実践と研究を見極めたく参加したのです。講演も十分な満足を得るモノでありましたが、実践発表をされた学校・団体の内容が素晴らしく久しぶりに「感動と賞讃」を禁じ得ない貴重な時間となったことがはっきり脳裏に回復してきました。

 老脳が為せる禍。

 それは、容易に忘れてしまう業である。それを実感するから哀しいではないか。それが度重なると落ち込んでしまうから始末悪い。しかし、昨日は違った。すっかり忘れてしまったと嘆いた直後に、このレポートの実践記録が記憶を回復させてくれたのである。嬉しいではないか。

 やっぱり「記録する」ことは、それが些細なことでも「メモとして」でも殴り書きをしておくことの重要性を日常生活の中で実感すべきであると実感いたしました(笑)。

 ひょっとしたら、まだ老け込んではいないんじゃないの?!と歯を磨きながら鏡の自分に問いかけてみると、「そうだよ!」と応えが戻ってきました(笑)。

 こんな勝手な思い込みで今日の任務のために出向の準備に拍車がかかる能天気な小生の一日が始まりました。行って来ます!



  













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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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