2011/05/10

恥ずかしい「お話」ですが・・。

 ~こんな所にもあったのか!~
 HP管理人の先生と一緒に訪れた御前崎の風景をテレビ画面で見ながら考えた、
 現地踏査のイメージでは、「風力発電」の光景が強く印象付けられた地でもあった。灯台に上るのに一苦労したのは飛んでしまいそうな帽子を押さえることだった。眼下の海岸には白い波頭が際立って綺麗に見えたのは強風の所為だったのかも知れない。運転をしながら彼から原子力発電所の説明も聞いた。全く関心を示さなかった小生だったことを思い出している。
 原子力発電の威力と安全性は、それほどまでに無意識の意識として国民全体に浸透しているようにも思える。時々、福井や新潟の原発で起きた放射能漏れもいつの間にか「安全性」に包み込まれ意識の蚊帳の外になってしまったのが経緯である。
 福島第一原子力発電所。
 ここでは、今回の震災の直撃を受けたことで機能が壊れた。壊れれば後遺症は発生する。最も危険な後遺症が広範囲の住民の生活まで脅かしている。住民の皆さんの憤りをどのようにして諌めるのか。天災とか人災とかの「言葉遊び」の域ではない。
 昨今は、「オール電化」をセールスポイントで住宅を供給する。望むと望まざるとにかかわらず「現代生活環境」には電力消費が前提であるとしか思えない。確かに便利ではある。消費電力は無意識の中で実行されている。ここ数日間の話題は浜岡原発の稼働停止が決まったことである。「えっ?やっていけるの?」と素朴なつぶやきが聞こえてきそうだ。電力会社としては運営の見通しは出来ているからだろうか。詳細は、お恥ずかしい話であるが理解出来ていない。お恥ずかしい話の上積みをすれば、全国に設置されている原子力発電所を「知らない・聞いたことのない地名」として認知している自身の無学であることである。
 「広島・長崎の悲劇」も風化されつつあったのか?シャキッと背筋が伸びるような気がする。
 広島・長崎=被爆 という等式は学校教育で学んだ。現地も修学旅行で訪れた。被爆体験者の「語り」も耳にして涙を流した。しかし、人は「時間が経てば」その感度も鈍ってしまうようだ。今回の原発事故による「放射能」という「言霊」が、鈍な小生の脳味噌にも大きな刺激を与えてくれたようだ。
 お恥ずかしい話ばかりで恐縮する。今月末には仕事で広島市を訪問する。もう一度、新たな気持ちで原爆ドームを訪れてみようと細やかな反省の心境である。
 原子力の平和的利用?恩恵を意識しつつ日常的な「節電」意識の高揚を学校教育でも真剣に取り上げなくてはなるまい。家庭教育での意識づけは、当然ながら不可欠である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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