2011/05/05

『こどもの日』に考える


 ~「被災地孤児」に対して出来ることは?~

 東日本大震災で親を亡くした多くの子供たちがいると言う。

 これまでにも、多くの自然災害で不運にも親を亡くした人たちがいることは承知している。少年時代に大型台風の襲来で大洪水となりクラスメートのお父さんが亡くなられたこともを思い出した。故郷の九州では「台風と共に生きる」生活様式が主流であり、被災家族への村落共同体の思い遣りも尋常ではなかった。友人も逞しく人生を送ってくれたと信じている。それは、安易な同情だけでは無かったようなおぼろげな記憶も残っている。

 しかし、今回のように「未曾有」という形容詞が頭につくような想定外の大震災で、一瞬の間に多くの親と逸れそして孤児となってしまった多くの「子供たち」の存在は、これまでとは大きな違いがあるのでは、と思えてならない。それは、孤児となった近隣の子供たちを救える共同体(=村落)すら破壊されてしまっているからである。救えるのはただ一つ。国家体制でしか救いようがないということである。各種報道で「災害ボランティア」の皆さんが被災地で奮闘されていることを知るにつけ、善意と奉仕には限界があることを痛感するのは小生だけではあるまい。心温まる光景やニュースに小生の瞼が何度も熱くなり涙すらこぼれるほどである。しかし、村ごと、町ぐるみが被災して「どうにもならない」現状を考えるとお先真っ暗ではないか。無力で先見予知性も乏しい孤児たちには、村も町も無力で非力過ぎるのではないだろうか。「がんばろう日本」というキャッチフレーズは大所高所から「100年後の日本」を想定して、国家意識として国政を担うリーダー集団からの心底からの語り掛けであってほしい。と、小生は祈りたい気持である。

 今日は『こどもの日』。

 転居したばかりの新県民としては、同一県内にも大きな被災地があるという知識しかないがどこでも今日は『こどもの日』である。小生は、庭先の小さなこいのぼりの横に国旗を掲げることにした(写真)。我が家の孫たちに向ける祖父母の愛情というより、全国の「子供たち」に向けてエールを送るつもりからである。

 自分一人ではどうにもならないことにも遭遇するだろう。そんな時は、周囲の大人に相談をしてアドバイスを受けながら生き抜いて欲しい。一人だけでは生きていけないと言われる人生ならば、友人や仲間と助け合い励ましあって切磋琢磨して生きて行って欲しい。人を蹴落として自分だけが幸せを享受するような人生だけは避けてほしい。そして、立派な日本人として世界に羽ばたいてほしい。

 こんな思いを綴れば綴るほどに「大人力」の乏しさを感じてしまう。子供たちに尊敬され慕われる大人集団が壊滅状態になってしまったのではないかと悔しささえ浮かび上がってくる。当然ながら小生自身への非難も含め、自戒ていることをご理解願いたい。

 『こどもの日』。それは、子供たちに誇れる国づくりをしなければならない「おとなの日」である。と、小生は肝に銘じたい。大人の意識改革の日である、と敢えて最後に申し添えておきたい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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