2011/05/31

不案内のドライバーが郊外のモールへ向かう

 ~3年が過ぎても・・・~
 次女夫が転居先まで運んで来てくれた愛車(湘南ナンバーの軽自動車)は、その時点で給油をして貰ったまま、まだ一度もガソリンスタンドにも立ち寄っていない。行きつけのポイントは宅配便の営業所である。最寄駅まで5分も掛からない場所に家があるので、ちょっとした買い物の「歩き」か「自転車」で殆どが済んでしまう。周辺の駅前商店街にはどこにどんな店があるのかを掌握できている。
 妻が、郊外の大きなショッピングセンターに行きたいと言い出した。
 請われれば応えなければなるまい。
 以前に長男から行先の道案内は受けていたので、その記憶を頼りに久しぶりの運転である。妻の記憶も頼りにしながらバイパス沿いのモールを目指して向かう。田んぼの風景が目の前に現れた。道案内を受けた時点では田んぼなど無かった。風景が一変したかのような錯覚も症状が起きた。
 しかし、ほぼ間違いなく目的地に向かっていることは確かである。
 しかし、やっぱり不案内である。途中から老夫婦の楽しいショッピングの会話も消えた。大体の方向性を頼りに運転するが、『方向音痴』という特性も誇る小生には自信など無い。妻の記憶に驚いた。ホントに奇跡とも思える記憶が蘇ったのだから大笑いになった。行く先を見失った夫に妻から貴重な記憶が届けられた。本気で驚いた。
 「その信号の右手が父の火葬をした斎場でしょ?」
 小生には義父とその火葬場との関連など皆無だったので、わが耳を疑いながら直進した。長男の道案内の時も、「ここがお祖父ちゃんの火葬をした所」という説明のくだりがあったことは確かだった。娘である妻にとって父親との最期の別れをした場所をその風景からも記憶していたのだ。
 あの日から3年の歳月が流れているのに。
 九州で生まれ育った父親を茅ヶ崎で介護して最期を看取って、深夜の霊柩車でこの地まで運んだ夜のことも浮かんできた。嫁の実家が寺院であることで葬儀はそのお寺で行うことにさせてもらったのである。そんな思い出のシーンを彷彿とさせた妻の記憶力には脱帽だった。
 その場所を通過したら目の前にご当地最大のショッピングモールが目の前に現れた。思わず、「着いたぞ」と偉そうに言葉は発したものの運転手とは運転しただけの技能吏員であった。
 買い物を済ませて帰路の愛車の中では「妻の記憶力への絶賛」で終始した。
 さて、妻の買い物の目的は何だったでしょうか?不案内のドライバーは依頼を達成できた満足感だけで、今日は良いとしよう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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