2011/05/11

転居して「1ヶ月」が過ぎました。

 ~東日本大震災から2か月~
 3月11日に震災を受け、4月11日に(無謀と他者は言うが)、ここ土浦市に転居。そして、今日は5月11日である。
 1か月前のこと。引越センターの荷物が茅ヶ崎の旧宅を出る瞬間(およそ午後5時過ぎ)に、茅ヶ崎でも大きな揺れがあり行く手を塞がれるかのような不安感に襲われた。次女夫妻と一緒に恐る恐る出発した。案の定(?)東北道が柏駅周辺で「通行止め」のシグナルにストップを喰らってしまう。ナビを頼りに車は渋滞の柏市内の市道を右往左往してしまう。道が不案内な上に市街地の渋滞で車が動かないと焦燥感より不安感が先行してしまい、「土浦が遠い」地に思えてしまった。
 迂回している内に「ナビから」速度制限つきで東北道の開通に気づいてホッとする。高速道路は真っ暗でではあるが車の量も少なく順調すぎるほどに快調に走って、長男一家が首長くして待っている土浦の自宅に到着した。心身ともに疲労困憊ながら嫁が沸かしてくれていたお風呂に飛び込んだ。疲れが引いていく実感を満喫していた瞬間、余震から歓迎の揺れを見舞われて我に返った。
 そんなことを思い出している朝。
 昨日から10度も下がって肌寒い。しかも、午前2時あたりから余震の連発。大揺れはしないが、ラジオから頻繁に流れる「地震予知警報」のメロディが異様な目覚めを促してくれた。大震災から今日で2か月が経ったとラジオが何回も報道する。時が流れれば、こんな心労もいつかは風化してしまうのだろうが、渦中にいると、やはり恐怖心は拭い去れそうにない。
 しかし、この教訓は「きちんと受け止めて」伝えていかなければなるまい。
 そんな朝。長男孫は、県庁から大洗海岸への「社会見学」だと張り切って出かけて行った。隣で老妻が呟く、「こんな日にどうして遠足をやるの?」って・・・。わかるようなわからないような・・そんな夫は、数年前まで、そんな行事を計画した責任者として勤務していたのでありました(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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