2011/05/21

旧友からの手紙

 ~「筑波山」を思い出に~
 教員時代に県外に出張、しかもほぼ1か月間もの時空を「研修身分」で過ごした時の仲間が全国にいる。その中で今でも(約30年前の出会い)交信できる人が存在することは至福である。その「旧友」から久しぶりに手紙が届いた。転居の知らせを受領したからであろう。

 ・・・(前略)・・・茅ヶ崎とはまた違った魅力ある地でしょうね。「筑波山」という音の響きが懐かしいですね。是非ともまた訪れたいものです。中国山地の山あいの村で生まれ育った小生にとって関東平野の広大さには度肝を抜かされました。時には富士山が見えると聞いて更に驚きました。(中略)貴兄のことですから新天地でまた色々と切り拓いていかれることでしょう。折々の情報をお届け願います。ところで、以前、話題にした飼っていた鶏のことですが、残念ながら死んでしまいました。(後略)・・・

 同封された「執筆原稿」(県内の機関紙からの依頼)を読む。
 癒しにも似たご夫婦の愛情を全身に受けて必死に「産卵して」喜ばせた鶏の話題になっている。広島での公務の帰路、岡山で立ち寄り30年余の旧交を温めた時の「老・爺」の話題は孫のことで話のネタが尽きた二人の他愛もない(と、言ったら氏に怒られる?)話題として、この原稿に登場する「二羽の鶏」さんたちがホットな心を運んできてくれたのである。
 こちらが注いだ愛情分だけは反応してくれるのだろうか。この問いかけに、人間だったら・・・、と午後の眠気を吹き飛ばしつつ考えてしまう。人間だったら「掛けた愛」以上の反応は期待してもいいのではないだろうか、というのが小生の結論紛いの結論である。しかし、それは「いつの時点」か?それが問題解決のキーポイントになるだろう。小生は思う。それは、ひょっとしたら墓石に向かって語り掛けた時点になることも「人間だったら」考えて置くべきだと言うこと。従って、急がず、欲張らず、信念を込めて「愛を注ぐ」ことが前提かも知れない。いかがだろうか?
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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