2011/05/17

『子育て』という言語に思う




 ~その「エネルギー源」~

 福島第一原子力発電所の問題が現代生活への課題として悲しくて辛い話題を独占している。原子力というエネルギー源の威力は、水力・風力・火力とは比較にならないエネルギー源のようである。少年時代の遠足で故郷の川の上流まで行って「水力発電所」を見学した。電気を作り出すためのダム建設の説明もおぼろげながら記憶している。そして、大人社会の偉大さも学んだ。電気の大切さも知った。 どんな作業をするにも、それを支えるエネルギー源があることを再考したい。 今回の出講旅行でも責務として果たすべき演題として課された話材が「子育て」であった。現職時代にも考えることも多かったが、こんなに切実なまでの課題として取り上げられる実情には少々驚かざるを得ないが、納得する面も無い訳でもない。

 子育ては失敗だらけ。 「育てる」プロセスでは失敗という評価は軽視できない。「子供を育てる」ためにどんな犠牲や奉仕が必要と考えられているのだろうか。自らを振り返りながら、親の犠牲や奉仕がどの程度あったものかを考えても「子どもだった」本人には確固たる正答は浮かんでこない。貧乏という「犠牲と奉仕」が存在していたことだけは言える程度である。親たちが、その時代に生きながら「苦労して」子供を育てたという事実は、不思議なほどまで身体や大脳が記憶して「人間性」を完成させているようである。

 貧乏を憎み、きょうだいの数が多いことを憂いながらも、そんな要素が「子育ち」の要因になっていると考えるのは小生だけだろうか。贅沢なほどの「衣食住」の中で育った子供でも、それ以上の要求はあり、親や家族への不満は無かったとは言えまい。

 と、すれば「人を育てる」行為こそ、無理があったり背伸びがあったり、見栄が強かったり外観だけを前面に押し出してしまえば、「育たない」末路を歩かせるようになるのではないだろうか。子育てに限らず「育てる」行為には焦燥感と将来への不安が先行するものである。この点は覚悟を決めなくてはならないような気がしてならない。「思い通りに」育てようとする無理は、大きな障害物になるように思えて仕方がない。葛藤と葛藤のぶつかり合いを「家庭生活」から削除して子育てをするのは無謀である。きょうだい喧嘩も親子げんかも立派な「成長の栄養素」であると考えるならば、力むことなく自然体でぶつかり合うことが立派な「子育て」につながると確信できるのではないか。

 失敗だらけで反省だらけの「わが親業」は、振り返る余地すらない。 そんな反省に立って話題提供をするので聴講者には異様な講演に映ってしまうようだ。決して無責任な講釈を述べているのではない。自然体の行為を自然にふるまうことの難しさも認知しつつ、「自然」の威力を周知させたいのである。小生はその源泉を今回の東日本大震災で思い知ったのである。

 誤解をしてほしくないのは、「自然体」は何の努力も不要だということではないこと。自身ができることを自らの意志と情熱で内面に築き上げる努力は絶対に必要であることを述べておきたい。搭載した当日の講演感想集(写真版・A4版2枚)からも、力んで頑張っているお母さん方が多いことを推測していただきたい。そんな立派なお母さん方に講師として言いたいことはすべて言えました。お母さん方が「自分が」「立派な親になって」「素晴らしい子育てをして」と、決して独りよがりで突っ走らないことだけを祈るばかりである。また、自然な形での「世間話」をしますので、お声をおかけください。

 子育ては「勉強会」で学ぶ内容でありません!!





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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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