2013/02/27

対語の魅力

 ~どっちが『表』?『裏』?~

 コインを使って「表裏」で勝敗を決めて順番や陣地を決定する。

 ガキ大将が持っている5円玉の表裏に一喜一憂した少年の日の遊びの風景が懐かしく浮かんでくる。我が家の5歳の孫と戯れていた時、「お祖父ちゃん、どっちが表?」と訊かれて、「こっちじゃないかな?」と応えると半信半疑な顔をしながら「誰が決めたの?」と畳み掛けられた。「表」と思う反対側が「裏」となる訳だよ、と無責任な応えをする祖父ちゃん。

 どうやら、「表」が正統派で「裏」は紛い物のようなニュアンスで生活文化を熟してきたようだ。朧げな記憶が蘇った。社会科の学習用語で「表(裏)日本式気候」が使用されなくなった時期があった。恐らく教科書(=正式には「教科用図書」と言う)での表現規制が文科省からあったのだろう。人道的な配慮があったのだろうか?「配慮された」こと自体も妙に気障りな思いがした瞬間も蘇ってくる。

 確かに日本海側の都市への訪問の際に感じた。冬の気象状況は、まさに「裏側」の意識で納得したような気になったモノだった。しかし、高貴な判断と指導だったのではないかと、今では感心している。

 昨日は鍼診療日。

 常磐線の終着駅(上野駅)で降りて東京駅まで行く。そして、1~2番線の高架ホームの中央線に移動する。エスカレートを利用しないと登れないような急な階段の段数を機械が運んでくれる。

何十回も利用していると視点も変化するようだ。老妻が、「この煉瓦って、東京駅の屋根?」と突然聞いて来たのが1か月ほど前だった。中央線のホームに接している煉瓦造りの建物は、確かに「東京駅舎」の『裏側』である。いつも中央線のホームには電車が止まっていて、「東京駅舎の裏側」が視界に入ることが無いので老妻の着眼に感心して、確認する作業をしてデジカメで写真を撮った。【左】

 100年前の東京駅舎の面影を十分に残す修復工事が先日完了して観光客を呼ぶキャンペーンも行われた。東京駅・丸の内側出口は3か所とも乗降客の外に観光客でごった返していた。100%の人がカメラ持参だったのではないだろうか。

 東京駅フォトコンテストも実施され優秀作品【右・写真】も発表された。華やかな東京駅舎を映した優秀作品を鑑賞した。その裏側の一部分を老夫妻は凝視したのである。
 孫の質問ではないが、どちらかが『表』となったら、その反対側が『裏』と判断しても結論的には間違いあるまい。『裏』が表になることもあっても良いだろう。へそ曲がりの爺の結論は身勝手なモノであり参考にもなるまい。読者諸兄のお考えは如何かな?東京駅舎の2枚の写真は決して「表裏」決定の資料では御座いません(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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