2013/09/09

たかが『髭剃り』・・・気にするようになった「生活リズム」の存在感!


 

 体調不良に気づいたのが1週間前(9月2日)の早朝だった。

 「生活のリズム」の一つとして早朝の散歩を10年以上も続けている。省みると無理もあるリズムである。しかし、その無理も難なく通過した年代力がそこにはあったようだ。同行する妻の体調も軽視した無謀な実践もあったと数多くの反省事項が浮かんでくる。

 生来の「末っ子」根性の我儘が通じるところを持ち合わせたままに古希を迎える年齢になってしまった。たかが「熱中症」!決して無視していた訳ではないが、自らとは無縁の世界と考えていたことは事実である。

症状を訴えて翌日(3日)、鍼診療師の診療を受けに行った(=行けるかどうかも案じる程の状態)。師の口からは最後まで病名(=熱中症)は出なかった。脳に水が届いていないね!と、だけ。医療分野では血液の巡りと言うが、師は「水が届いていない」と表現された。汗と便通で水分は体内から大量に放出されるのに、水分の補給に疎い人が引き起こす症状だ、と注意された。

 一日に水2リットルは飲んだ方が良い!!

 単なる水を2リットル、しかも毎日となると「生活のリズム」の一つに組み入れないと容易に飲み続けることは不可能である。しかし、体温以上の気温の中で生活していると、熱帯夜(=通称)の「睡眠中には更に大量の汗は出る」ことに納得である。汗には体内の塩分も一緒に放出されるらしい。塩分の補給を忘れたら致命傷になる、言われれば妙に納得する。

 自称・健康体。

 当ブログの休刊連続の原因が判明して友人知人から、「まさか、・・」と通常の健康マンの豪語を信じ切っていたことへの自らの仰天ぶりを添えたお見舞いメールが多く届いた。『反省することしきり』の1週間が明けた。

 病人の素顔。

 ひげ面の「お祖父ちゃん」の傍には孫も寄り付かない。当の本人には鏡を見ない限り髭面など見えない。小生の人生観の中に「休み期間中ぐらい髭剃りのない」リズムを欲しがる願望がある。現役時代、運転しながら髭を剃ったこともあり仕事場には無精髭面での登場は勿論なかった。

 今回は1週間以上の「髭面」放置状態だった。めまいも少しずつ治まり歯磨きをしながら鏡の中の無精面を見詰めると気分不爽快になった()。髭剃りを始めた。いや、髭剃りでもしたくなった!髭面から逃亡したくなったのである。

 髭剃りをしながら面白い話を思い出した。二人の兄たちが成人式を迎えた(年齢)頃、「お前、髭は生えてないのか?」と覗きながら、「羨ましいなぁ!」と交互に話しかけた。髭も生えない末弟は、髭の濃い兄たちを「羨ましいなぁ!」と不思議な劣等感を抱いたモノだった。成長したら()、出勤前の髭剃りは日課になっていた。

 こうして通常の生活リズムとは少々ズレた生活をしていると、「出勤前の髭剃り」は貴重な「生活リズム」のキーワードだったと気付いたのである。病み上がりの老顔の見詰めながら無精ひげをきれいに落とした。

 すると、スッキリする。すると、シャキッとなる。すると、言動もテキパキとなる。

何だか不思議な気分であるが、これが「生活リズム」の源泉だったと気付かせてもらったような気分になっている。たかが髭剃りであるが、されど髭剃りである。

明後日からの広島訪問に向けて準備開始の朝である。
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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