2013/09/08

「東京オリンピック」の時は、何歳だった??

 

 諸先輩が「東京オリンピックが開かれた時は何年生だった?」と問われると、「まだ、小学校に入学していませんでした」と答える新採用教員が多くなった日々を思い出しています。その新採用者諸兄も昨今定年退職です。
 小生は19歳でした。

 大学2年生の秋に「東京オリンピック」という国家行事に遭遇しています。中学生になったばかりの近所の中学生を連れて自転車で出かけました。オリンピック会場に??行き先は、隣町を走り抜ける東海道新幹線の雄姿を視ることのできる田圃でした。その中学生も一昨年には還暦を迎えています。

 18歳で九州・熊本から神奈川に上京しました。次兄が勤めていた会社の独身寮に潜り込みました。1週間後に近くのアパートに移りました。その地(町)の北部に東海道新幹線の線路が出来ていました。自転車で10分で行けました。何十回も試運転走行を見に行っては、「速~い!」と驚いて感動していました。「この新幹線に乗って帰省できるようになりたい」は、当時の19歳の「大きな夢」でした。
 

 今朝5時20分に、2020年に予定されているオリンピックの開催地が東京に決定しました。もう観ることも無いと思っていた「オリンピック」という世界スポーツの祭典が降って湧いたように出現しました。ラジオを聴きながら「歴史の流れ」をまた懐古してしまいました()

 東京オリンピックの最終聖火ランナーが同年齢(19歳)だと記憶しています。

2020年の東京オリンピックで活躍する選手団は、今の中学生でしょうか?ふと、そんな計算までしてしまいました。長男孫が現在12歳(2001年生まれ)です。7年後には19歳になります。「前回の東京オリンピックの時はお祖父ちゃんも19歳だった」と話しかけたら、何と応えるのでしょうかね。

 ところで皆さんは?

前回の東京オリンピックの時は何歳でした?そして、次の東京オリンピックの時は何歳になられるのでしょうか?愚問ではありますが、こんなビッグイベントを軸にして『自分史』を紐解いてみるのも良いのではなかと考えています。

早朝からのラジオの向こうの興奮を受け止めている朝です。



新ブログ【寸心紀行】(=右枠欄内)に、小生の「子育て論」を登載しました。2009年の執筆原稿です。幼稚園や保育園の保護者を対象にして執筆した月刊誌の連作(3作)の最初の原稿です。ご一読には、欄内のアドレスをクリックしてお入りください。 
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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