2013/09/10

ラジオから流れる声に耳を傾けながら・・・・・

 

 夏場は「起きて」聴く番組であるが、今朝はまだ布団で横になって聴いていた。 「南相馬農民への新たな支援」として、支援隊リーダーの大留隆雄氏がインタビューに応えておられる状況が放送された。

小生が珍しく体調不良の状態に陥ったのが1週間前である。「取り柄は健康だけ」と、健康だから豪語できた自身が陥ったのだから始末悪い。妻は苦笑の連続の様だ。大したことの無い「めまい」に怯える夫の現実を見て可笑しくもなったのであろう。体調が復活しているのは、目覚める時刻が体内時計に因って自然の起床を促していることが自覚できたことが証しである。明日からの「仕事再開」に燃え始めた喜びと一緒に気楽な気分で日課であるラジオへ傾聴をした。

大留氏の語りが始まった。

自身の住居も、避難勧告地域の境界線ぎりぎりに位置しているとの説明を何気なく聞き流していながら、「危険との背中合わせ」の自らに奮い立たせて支援隊リーダーとして陣頭指揮を振るっておられることに気付いた。

 全国に支援を求めて講演にも出向されているようだ。出向先が沖縄県であろうが北海道であろうが好機として受け止めて出かけられるそうだ。そこで、被災地と出向先の温度差を感じて愕然とされるのは、「どこまで復興は進んでいますか?」と異口同音の質問に遭遇する時だと話が続いた。「足元が震えてしまう」との言葉に、ついに身を起こしてしまった。

 氏は最後に次のように語った。

 世の中がいつの間にか「善悪を基準にして動くべき事態でも、損得で判断してしまう風潮」に入れ替わってしまったことを気付かせてもらいました。

 極基本的な規準も、ここまで明言されると誰でも背筋が伸びるだろう。オリンピックの誘致が、国益という損得だけを基準にしたモノであってはならないと願うばかりである。大留隆雄・支援リーダーの頑張りを、「心からの支援」で支えていることを自らに言い聞かせながら今日の一日のスタートである。
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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