2013/09/17

『敬老の日に思う』メールが届きました!


 

 以下にメールの一部分を紹介します。反論なんてございません!!

 友人(小生と同年代)から届いたメールで、予定していたブログ内容を変更しました。友人にはお子さんがありません。「だから、この着想だよ」とは思えません。小生も、事ある毎に全く同感の怒りに似た反応を呈したほどです。だから、反論など無し!
 

今日は、敬老の日でした。休みの日に頼んでいる弁当はお赤飯でした。テレビは台風の情報で埋め尽くされ(当然のことですが)、9時のニュースではキャスターが今日は敬老の日であるが年配者の災害の経験を十分尊重し、活かすようにと言葉を述べたに過ぎませんでした。人口の4分の1まで老人が増えれば、敬老の日と言って老人を敬うような時代ではなくなったのかもしれませんね。
 
いとも簡単に振れ込み詐欺に遭うような老人が増えている現状から、いい加減に子離れしなさいと言いたいよ。もう大の大人になった子供でしょ。子供の問題はまずは子供で解決させるという気持ちを持っていればこんな問題はそうは多く生じないと思いますが如何ですか。子供のいないものの身勝手な言い分でしょうか。敬老の日に話がおかしな方向になりましたが、反論をお待ちします!!
 

 「敬老の日」という祭日は何故設定されたのでしょうね。

 「お年寄りを敬う」意識を醸成するための国家意識の表出だとは殆どの国民が理解しています。しかし、メディア、取り分けTV画面で活躍するキャスター(と言うのでしょうか?)が発する日本語の退廃ぶりには愕然としているのは小生だけでは無いでしょう。このメール読んで胸がス~ッとします。思いやりの無い言葉が罷り通る業界には呆れて言葉も継げないからです。

 詐欺事件の多発には驚くばかりです。

被害者には同情は寄せても、「自己責任」力が養成されていない大人社会の弱点を痛感します。30年前に、アダルトチルドレンという言語を外国語として受け止めました。子供のままに年齢だけで成人になってしまったことを表現する外国語として習得しました。所詮、外国の「現代の問題・課題」としてだけの理解で終えたのが小生の学びの貧しさでした。

 未成年者への配慮は法律でも整備されている。列記としたオトナには法律的な処罰が準備されて倫理観や道徳心で抑制することで体を為している。そこにはオトナとしての「自己責任」の熟成が成立条件となっている。自己責任を放棄して「保障問題」で責任回避ができるような生活社会に育った未成年者です。成人しても成熟したオトナに成れる訳がないでしょう。誰の責任??

 誰かの所為にして、誰かの同情を求める。

 そんな「教育過程」から『オトナに成れない大人』が増殖しても仕方がないでしょう。小学校に入学してからでは間に合わないのです。三つ子の魂百まで!!ですよ。幼児期の家庭教育を根本から見直すべきだと痛感しています。安っぽい休日を特設しなければ道徳心が育たない時代ではあるまい!!
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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