2013/09/20

『はりまや橋』にタッチして帰って来た、とんぼ返りの旅!!


 18歳で九州から上京して兄と初めて東京・銀座に出た時を思い出しました。兄貴と二人で必死に探したのが『数寄屋橋』でした。と、言えば同年代以上の年齢層でないとご理解がいただけますまい(笑)。

 おふくろや叔母たち、そして姉たちの喧騒な日常で、15分ばかりは、「足音がうるさい」と叱られたほどに静寂を保ったモノでした。それは、ラジオドラマ「君の名は」の放送時間でした。ドラマの中に登場していた『橋』を兄と一緒に探したのですが見当たりませんでした。東京オリンピック開催のために道路拡張や地下鉄の建設で撤去されて跡形もなくなっていたのでした。

 今回の旅先で、ふと、そんな光景を思い出した瞬間でした。

 訪問先の校長先生が車で迎えに来られる時間まで時間があったので、宿泊ホテルの通用口から一歩踏み出してみました。朱塗りのちっちゃな橋が目の前にありました。歩数30の距離ですから、「南国土佐を後にして」という思い出の曲に登場する「はりまや橋」との整合性はありませんでした。友人を待っているという女子高生に、「はりまや橋ってこれですか?」と訊いてみました。「はい、そうです」と応えてはくれたモノの、ホンモノはどっかにあって、観光用にミニ版として造られたのではないかと、勝手に空想までするほどに可愛いモノでした。

 7年も前から高知訪問はしているものの、こんなにじっくり1か所を見つめる時間はなかったということになりましょうか。高知城が見える位置まで散策しました。まだここも観覧していません。観光目的の土佐路ではないので仕方ありません。

今回も、18日羽田空港発16:55で往って、19日竜馬空港発19:05で帰って来ました。19日は終日の指導業務を終えると、学校から空港まで送り届けていただいて戻って来たのですから、昼間の観光は不可能ですよね。

 通常の夜のフライトには楽しみはありませんが、昨夜は機内の窓から見える『お月様』で暫し、心が癒される思いでした。水平線上と言うのか、目線の高さでとても大きくきれいに見えました。機内でも耳に入る感嘆の声が多かったのが「十五夜」の名月だったからでしょう。

 疲れて帰宅した庭先では身体が引き締まるような秋の風に迎えられました。「地上から見える満月」の写真を撮りながら、忙しい旅も充足感をお土産に出来たことをこの上ない至福に受け止めたことでした。
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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