偶然にも最近訪問した広島市の小学校の校長先生方から宛名も「手書き」によるお葉書が『お礼状』として2通続いて届いたばかりである。また、「はがき道」で自己精神修養しているという香川県の元・中学校の校長先生は、近況報告も含めて全てが手書きによる手紙を送ってくれる。
手書きの手紙には温もりを感じる。
しかし、小生は「宛名書きのソフト」を利して返信を投函してしまう。相手の郵便番号も住所の番地までソフトが記憶してくれているので苦労はない。変な言い方になるだろうが「間違いも無い」と決めてかかっている小生が顕在している。
一方では、事務用便としてコンピュータを活かしてメールという飛び道具を多く使うことに明け暮れている。出講する相手の意向や日程の調整などに活用している。朝の依頼が夕方には現実となってスケジューリングされる。パソコンの中にはカレンダーが組み込まれているので発信日も着信時刻も明記されているので長期間の留守でも画面から直ぐに判明するので重宝している。
通信機能と「手書きによる通信」とのギャップは時短に尽きる。
身の回りから責任の伴う用務が削除されたら、時間がゆったり流れるのだろうか。そうなれば、手書きにしてポストに投函して、1週間後の返信を首を長くして待つようになるんだろうか?自問しながら今朝も解答は出せない。
昨日の新聞記事に目を投じながら、はがきの宛名書きに関する出題が「全国学力調査・中学3年生国語」にあったという情報を得て、その結果まで知って唖然としてしまった。手書きの時代を経てこの年齢になっているので「知らない・できない」ことはない。しかし、平成の世に誕生した世代には、やっぱりこの流儀は伝承すべきなんでしょうかね!?
手紙を書くのに季節は無関係なはずだが、秋は人を、用もないのにその気にさせる。古くから、秋空に飛来する雁は懐かしい人の消息をもたらす使いとさ れてきた。
九月のその初雁の使ひにも思ふ心は聞こえ来ぬかも
と万葉集にもある▼「雁の使い」とは手紙のこと。中国の漢代、匈奴に囚われた武将の蘇部武が雁の足に手紙を結ん7国に知らせた故事にちなむ。それから長い時が流れ、メールが瞬時に地球を巡る時代である▼必然というべきか、手紙を書いたことのない若年者が増えているそうだ。郵便番号欄に電話番号を書くなど、基本を知らない小中学生が結構いる。去年の全国学力調査で、中3にはがきの宛名を書く問題が出され、正答率が74%だったと聞けば心配になってくる▼危機感を募らせる日本郵便は近年、教材を作って小中学校へのサポートを始めた。昨年度は全国約7900校で、165万人が授業を受けた。昨今は、先生も手紙を書いた経験が少ないのが実情らしい。親御さんもしかりだろう▼メールでは心がこもらないなどと言う気はない。ただ、古来、手紙は人間のあらゆる喜怒哀楽を媒介してきた。肉筆でつづる手紙には、電子時代にも失せない存在感と役割があると思う▼そういえば石川啄木に、いかにも啄木らしい一首があったのを思い出す。
誰が見ても われをなつかしくなるごとき 長き手紙を書きたき夕
やはり季一節は秋だろうか。メールの一斉送信では、懐かしさの情も中ぐらいになる。
9月22日 「天声人語」
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