若干のズレはあったとしても、この時機を外すことも無く必ず雄姿を見せてくれる花がある。好き嫌いの違いは名称と所以にも因るのだろうが、「野に咲く」可憐な姿は目を潤してくれることに関しては否定する人は少ないだろう。
茅ヶ崎の友人の中に自宅の庭に球根を植えた者がいる。
今頃、この花が友人宅の庭の隅で咲きだしているのだろうか。その主はもうこの世にはいない。同郷の誼で家族ぐるみでの交際が20年以上も続いている。遺族との付き合いは、二人の息子さん達との夕食会などで今でも続いている。この花に関するエピソードも「酒の肴」になることも珍しくない。去る13日の午後。
訪問先からホテルに帰るのにタクシーに乗った。広島山地(島根県寄りらしい)にある小学校から広島市街に出るには山越えが必要であるらしい。20分ぐらい走った所までは運転手と客の会話はなかった。
後部シートに坐している小生が、「あっ、彼岸花が咲いている!」と若干大きめの呟きを吐いた。運転手さんが、もう少し行けば群生地があるとの言葉を返してくれた。程なくその地点に到達したようだ。速度を落として観賞できるように配慮してくれた。「地上の状態も見えないのに、ピッタリとこの時期の開花することに感心しますね」と後部シートから声を掛けると、興味関心が無いことを前置きしながらも「こんな異常な暑さの今夏だったのに・・」と言葉を返してくれた。
友人の話までは言及しなかったが、「秋の彼岸に咲いてくれる」花の律義さに話題は転移して、人間関係の薄っぺらさにまで運転手の話が飛躍した。聞き流すわけにはいかないので話を合わせながら車は山間部を抜けた。
お子さんが小学生だと、いつの間にか話が変わっていた。小生は小学校の玄関先からの乗客である。悪気ではなく正体を知りたくなったのかも知れない。隠すことも無いので身分を明らかにした。父親としての「子どもの教育の難しさ」を真顔で話してくれた。アドバイスらしき言葉を発することも無くホテルに到着した。
運転手さんとの対話のきっかけは『彼岸花』であった。季節の移ろいを日常会話に取り入れるのは日本文化の特徴らしい。
今年も忘れずに咲いてくれた彼岸花のお蔭で、退屈もせずに40分間の帰路をタクシーと言う密室で和やかに過ごすことが出来た。
今日は夕刻から明日の学校訪問の為に空路で高知入りの予定である。明日は十五夜である。高知からの帰路は夜の空路である。機内から見える十五夜が楽しみである。カレンダーを見て確認しないと時機の到来がわからない小生は、彼岸花やススキの穂に「この時機」を教えられながらこれからの人生を楽しむことにしよう!!
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