2013/11/02

別世界(=『日展』)に、異常な事態が起きていた・・・・!?



 信じられん! いや、やっぱり?

 疑って掛かる気持ちなどさらさらない。「主観」で判定され選別される業界のことを小生は別世界と勝手に呼んでいる。代表的な別世界は、芸術・芸能と称される業界である。我にその能なし!との自己評価の劣等感からか、じっくり鑑賞する習慣すら着いていないので庶民以下の人類かも知れない。

 どこがどう違って優劣がついているのか?

 知人や友人に書家も画家もいる。創り上げる作品で生業を立てている彼らの苦労は、その修業時代から理解しているつもりではある。その業界で著名になると作品の頒価に度肝を抜かれたこともあった。芸術の世界の「奥の深さ」とばかりに、別世界と呼称してしまったのかも知れない。

 日本では最近トップ級の人気スポーツにフィギュアスケートがある。そして復活が喜ばれている男子若手選手の大活躍で人気再生を果たしている体操競技もある。細かな技術点の仕分けがあるらしく得点の付け方が解説者によって丁寧に説明されるのは好感が持てる。お蔭で、納得した気分で「得点競技」の観戦を楽しむことは出来ている。しかし、順位付けへの心底からの納得は未だに満足感はない。複数の審査員が算定したものを合計として小数点以下の数字まで発表されるので芸術品の評定とは全く異なる事だけは認知はできるので観戦の愉しみもある。

 前衛書道と分類され始めた時代に観賞した「書」に違和感すら持ちつつ「芸術・芸能」界は、別世界と決めつけて興味関心も失せていたのである。幼心に培った「上手だね」という評価だけでは差異が付けられなくなっているんだろうなぁ~、と自らを納得させながら古希を迎える歳になってしまった(笑)。

 どんな世界でも評価の先に「優劣」が付くことになる。

スポーツの世界と芸術・芸能の世界とでは評価の基準が違うことは理解できる。ところが、昨今、その『業界のウラ業』が権威となって「玉ころがし」的な戦術が蔓延っていたことが明らかになった。国民の一人としては、その世界の裏で闇に葬られてしまった芸術家が多く存在したのではないか?こんな浅ましい考えをしてしまう自分を恥ずかしいとも思うが、やっぱり心は晴れない。





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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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