2013/11/27

「尊敬する先輩」が、また一人、逝ってしまいました!!


 一枚の葉書を手にして老妻と共に愕然としてしまいました。

 喪中を知らせる葉書でした。差出人の氏名に「もしや・・・」との不吉な予感が当たってしまったのです。今年の3月に電話での交信がありました。お元気な声でいつも通りの意義ある会話をすることが出来た満足感を思い出しながら、「その頃も」闘病中であったことが判明しました。他者に決してイヤな思いをさせることがない接し方をされながらも、要所に関しては明言していただいて優しく厳しく指導をしていただいた「教頭先生」でした。その後、中学校長としてご活躍される雄姿を、こちらは市教委の立場から、誇らしい視線で見詰めたものでした。

 小生は32歳で市外転勤となりました。勤務地としては隣市への転勤でしたが、住居に近い学校勤務となり張り切って教壇生活を過ごすことになりました。その中学校での出会いとなりました。教頭職について沢山のことを学びました。

 拙著(『あせらない あわてない あきらめない』 教育出版)にも、尊敬する先輩としてご登場願いました。出来上がった本を「お届けすべきかどうか」と躊躇している間に書店の店頭に置かれた拙著を手にされたらしく、お叱りの電話を頂戴してしまいました。その折に、触れられた話材には受話器を置いてから声に出して泣いてしまいました。厳しい叱咤でしたが、胸は熱く涙も冷たいモノではありませんでした。その教訓は、今でも実践している程の偉大な人生訓ともなっています。

 枚挙にいとまがないほど多くの訓話を頂戴した「恩師」です。

 師の大好きだった「みかん」を、九州の従弟から直接に送り届けてもらいました。そのお礼の電話をいただきました。直接の会話を交わしたのが最期になってしまいました。闘病中だったことを微塵も見せない、いつもの「明るさと厳しさ」で声を聴かせいただいたのです。能天気な小生には、師の現実を受け止める事すら出来ていなかったという恥ずべき体たらくです。

 差出人はご長男であると思われます。

 請け負っている仕事が来月中旬には一区切りができます。その後、年内には遅まきながらの墓参に出掛けたいと思っている朝です。心より謝意を添えて、わが師のご冥福を祈るばかりです。
 
 
今日からまた、出講です。暫く休刊します。
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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