2013/11/25

広島に通って10年にもなって「もみじ饅頭」をしみじみと見詰める



 訪問した小学校の正面玄関先で、思わず立ち止まってしまいました。大木の葉っぱの色を見て、「もみじ」って、こんな鮮やかな色をしていたんだ!!と思った瞬間に、足止めされたのです。絵心の無い小生には、「描いてみたい」心境にはならないのですが、写真には撮ってみたいと考えて立ち止まったのですが、ホテルにカメラを忘れたことに気付いて苦笑しました。

 子ども達の「登校の様子を見て欲しい」との学校長の要望に応じるために、宿泊ホテルからは徒歩距離にある小学校です。お迎えの車を必要としません。歩くことに決めました。そこで、背負うリュックの中身を厳選しました。軽くするためにデジカメも省いてしまったという経緯があったのです。ともあれ、こんな大木にふさふさと付いている大きな葉っぱの色の鮮やかさに感動してしまったのです。

広島から帰る時は、「もみじ饅頭」をお土産として求めるために「お土産コーナー」に立ち寄って驚いたことも思い出しました。それは、「色んな種類の」もみじ饅頭がある事だったのです。仕方がないので訪問の回数を掛けて、違う種類を求めてお土産としました。その内に家人や知人から「お気に入り」のモノが限定され、今ではご所望に応じて求めるようになりました。こうして「もみじ」との交際が続いていました。

 登校を済ませた児童たちが元気で校庭で遊んでいました。

 小生の掌にひらりと一枚の「もみじ」の葉っぱが落ちて来ました。拾い揚げて、「おや?」と思ったことがありました。それは、「どっかで見た」形だったからでした。お土産に買って帰る広島名産の饅頭を包んでいる箱や包装紙についている「形」だったのです。

 小生の脳裏に存在していた「もみじ」の形は違いました。勝手な思い込みであったことにも気づきましたが、「大木」と「大きな葉っぱ」の『紅葉葉』には結びつかなかったのです。

 講義をする前段にその話題に触れてみましたが、地元民の教員諸兄には深意が伝わらない程の異文化でした。「アメリカ楓」という種類だと教えてもらいました。生活に密着した知識が最大の宝物だと実感したのですが、気付いた年齢が少々遅過ぎましたなぁ~(笑)。




 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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