2013/11/01

『昭和の時代』に輝いた星が、またまた消えました!




 ○○のファンじゃなかばってん川上哲治(選手)が好きだけん!

 生まれ故郷の「ひごもっこす」のプロ野球ファンの捨て台詞でしょうか?氏の母校の野球練習場にブロンズ像があるほど、卒業生にとっても「自慢の宝」的な存在だったようです。中学2年生の時、憧れの「野球の神様」に手ほどきを受けました。あの瞬間が走馬灯に浮かんで来ました。日本シリーズ(東京ドーム)の第4戦のプレーボール前の「追悼・黙祷」の場内アナウンスに食卓で向かい合っている老妻(同郷)と、打ち合わせも無く目を閉じてご冥福を祈りました。走馬灯に浮かぶ「少年の日の思い出」シーンが昨日のようにハッキリと浮かんでくれました。黙祷が終わって目を開けたらハンカチが必要になっていました。

 また、また、また「昭和時代に輝いた」スターが、本物の『星』になって天に召して逝かれてしまいました。93歳だと知って、小生の「父親世代」だと感じ入ってしまいました。ご長男が小生と同じぐらいの年齢であることも知りました。

 郷土では、頑固者・変わり者のことを「もっこす」と言います。いい意味での「意地っ張り」の男性の事を称するのでしょうか?チームを率いてプロ野球界での戦績は前人未到のものとして球史に燦然と輝いています。「もっこす精神」が礎にあるのだろうと、ファンは勝手に思い込んでいます。

 一人一人と消えゆく事実を認知しながら、「昭和の時代」が遠くなっていくような気分になってしまう朝です。気が付けば、「平成」の時代も四半世紀を迎えて進んでいるんですよね。いつの時代に生きていても多くの苦難に付き纏われるものでしょう。どうせ生きているのなら、尊敬する氏の色紙の文字を噛み締めて生きるしかないですね。

 今日から11月。

平成25年ももう2か月で新年を迎えます。愚痴や未練では難しい平成の世のスピードに振り落されちゃいますね(笑)。

川上哲治氏のご冥福を祈りつつ、老体にも鞭を打つことにしましょう!


※好天に誘われて歩禅を楽しんで帰宅しました(40分=5500歩)。今日はデジカメを持って  行きました。お約束通りに当日のブログ版に追加・アップしました。筑波山を北西方向に見る田んぼ道で撮影しました。長閑な秋日和でした。
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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