「前時代的な考え方」であると、耳も傾けて貰えないかも知れないが、夢多き青春時代の思い出話を披露する。
「先生になりたい」と、高校時代の友人達に言った。「給料が安いんじゃないの?」との前置きをした彼らの意見は強烈だった。「生活していけないぞ。結婚も出来ないんじゃないのか?」とまで言及されたことを思い出した。還暦同窓会で再会した時には何人もの同業者が居たが、親しい友人の中には教員になった者はいなかった。
卒業と同時に高等学校での教員生活が始まった。
その後、公立中学校に転勤した。やがて、新採用の教員が複数以上の数で配置される時代となった。数年も経たない内に年度末の土・日曜日は「結婚式のラッシュ」になった。つまり、同僚の殆どが「共働き」の人生を選んだのである。数年間の内に親になって彼らの家庭生活のリズムも大きく変わって行った。我が子を保育園に預けての共働き生活は社会の常体となったのは言うまでもない。
その時代の赤ん坊たちが今、列記とした親世代になっている。保育園が不足して「待機児童」という社会現象になってどのくらいの年月が流れているのだろうか。保育士の成り手が無いという新・社会現象にまで変化(到達)しているようだ。
小生の古い職業観。
笑われるだろうなぁ~!同僚たちの結婚ラッシュに招待された小生の家の家計簿は「火の車」だったと老妻が語ったことを思い出した。「結婚貧乏」だったと声を出して笑った。一輪車操業(=共働きではない)の家から「祝儀を持ち出す」のは罪にも等しかったようだ(笑)。
貧乏は苦しい。しかし、その苦しさの中で家族が細々と生きる。美学と思ったことも無い。貧乏教員夫婦が3人のわが子を育てた。彼らは「もっと裕福な生活」を、と子どもなりにも夢見たかも知れない。教員も「子育て」のプロであるという意識が強かったので小生の教員人生には貧乏の陰りはなかったと自負している。保母さんや保父さんという名称が「保育士」と変わって市民権を得ているようだが、職業観までは市民権を得ていない??
懸命に働く人たちの子育てに付き添う職業への誇りを「心の財産」にして世の中の役に立つ職業人として活躍して欲しいのだが、時代遅れの着想として跳ね除けられるだろうなぁ~!?
退職してもプロとしての「職業観」を捨てきれずに、今日も早朝の6時には家を出て遠隔地に出講します。待ってくれている後輩教員諸兄の顔が浮かんでくると、勇み立つ我が精神構造は「現世の遺物」になりそうです!(笑)行ってきま~す。
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