2010/04/30

無関係と思っていた「叙勲」

  ~おめでとう、叙勲!~

任務
犯罪や非行に陥った者が保護観察を受けることになると、その期間中、保護観察所の保護観察官とともに、対象者と面接して生活状況を調査し、保護観察中に決められた約束事(遵守事項)を守るように指導をし、生活相談など社会復帰への手助けをする。また、刑務所や少年院などの矯正施設に入っている者について、釈放後の帰住先が更生のために適当かどうかを調査し、その環境を調整する。そのほか法務省の主催する「社会を明るくする運動」も中心になって運営し、地域における犯罪予防運動も行う。

 不勉強と言うか、無関心と言えるのか。
 新聞紙上に栄誉ある叙勲者氏名が掲載されることぐらいは認知している。しかし、こんな身近な人物が叙勲者となるとは「夢心地」である。故郷(=熊本県八代市)の3歳後輩がその栄誉ある叙勲者になったという知らせが届いた。恩師も共通であり、高校まで全く同一コースを歩んだ、謂わば舎弟である。東京の大学に上京した彼を、自営していた学習塾の指導者として招いた。それがきっかけかどうかは定かではないが、卒業後、郷里に帰って学習塾の経営者となった。頑張り屋さん!その一言は小生の中での彼の代名詞である。彼の兄と小生が同級生であるが、家族ぐるみのお付き合いでご両親にも小生は随分大切にしていただいた。
 不勉強な先輩は改めて「保護司とは」と調べてみた。
 概要だけは知っているつもりの不勉強者は恥じ入る羽目に陥ってしまった。後輩の叙勲を決定づけたのは、この保護司としての活動だったのだろうと考える。誰にでも出来ることではない。ホンモノのボランティア精神が無ければこの任務を長年に渡って遂行することは不可能であろう。頭が下がる。
 今のところ、帰省の予定はないので直に会って「おめでとう」は言ってあげられないが、心から祝福していることは可愛い後輩ならわかってくれるだろう。奥様の内助の功も、御存命のお母様(お父様は既に他界)のお慶びは計り知れない。お母様の素敵な笑顔が浮かんでくる。親友の兄(同級生)も、そして彼の二人のご子息も誇りに思える弟や父親の存在感を噛み締めておられる事だろう。親孝行したね、とも言ってあげたい心境でもある
 この栄誉ある機会を、更に踏み台にして社会への貢献を期待したい。
 後輩の栄えある叙勲に励まされて「元気になった」凡庸な先輩がここにいる。

2010/04/29

今日は何の日?

  ~「4月29日」って・・・?~
 猫の額には鉢植えが似合う。
 妻が放置していた(笑)花々が、今年の異常気象のお陰で異常なまでに咲き始めた。自然の威力を感じる。一時期、所狭しと咲き誇ったフリージアの花軍団が去った我が家の庭先の光景である。
 こんな表現をすれば「世の中を斜に構えて視ながらいじけている人生」(落人)と思われるか。いやはや、そんなことは御座らん。退職後も「わが人生は常に四季折々」と謳歌している凡庸ながらも闊達に生きている一人の爺であります。今朝もお元気ですよ(笑)。
 花の名前は「君子蘭」と言うそうだ。
 君子?耳慣れない言語ではあるが名称から判断するに「重そう」ではないか。高貴な花なのだろうか。そんな事はどうでも良い。
 今日は4月29日。と来れば「天皇誕生日」と暗記型学習の成果で、同年時代を生きた当時の少年達は誰でも答えることが出来たはずである。その事の良し悪しを論じているのではない。民主政治とやらは天変地変を起こしながら今日まで辿り着いている。その間に「祝祭日法案」(確かな記憶ではないので悪しからず)とやらで祝祭日の名称が変更されているようだ。
 昨日の「夕暮れ歩禅」ですれ違った中学生集団。
 部活動の疲れもあるのか「腹減った~」の連呼。しかし、小耳に挟んだ会話の一部があったのでご紹介しよう。「明日って、何で休みだっけ?」「昭和の日だよな」「そうだっけ」「休みは休みだからどうでも良いけど・・」と、他愛のない会話を続けながら我が家に向かって急いでいた。何気なく耳にした「明日は何の日?」を今朝、考えながら改称された祭日名は「昭和の日」だと己に言い聞かせる。「みどりの日」って、いつからいつまで?自問するが自答はない。
 時代の流れは正直である。
 新聞記事コラムは尊敬する工務店経営者の執筆になる内容である。「道徳教育」という表現の問題は余り論じたくない。しかし、氏が述べておられる真髄は全く同感である。別の遠回し表現をさせていただくなら「生き方」の掘り下げを学校でも、家庭でも、社会でも、もっと真剣になされなければなるまい。生き方の源泉は「命の大切さ」を知ることであることを国民的意識として再認識することは急務である。
 こんな「おも~い」話題を朝から言うな!とお叱りを受けるかも知れないが、読者によっては時間は関係あるまい。世の中は「大型連休」と騒ぐ。観光客の招致合戦が「町の活性化」とばかりに、ゆかりの人物を大空に掲げて懸命である。混雑を嫌った「父親時代」の小生は、わが子達をどこにも連れて行ったことがない。恨んでいるだろうなぁ!その孫達が明日から二弾に分かれて襲来して来るという。せめてもの「罪滅ぼし」に御輿をあげますか~!!

2010/04/28

新・歩禅記(27)

  
~夕暮れの散歩もまた おかし・・・~
 「爺」と「婆」の夕食は、何もない今日のような日には6時に終わってしまいます。
 そんなリズムは現役労働者時代には考えられなかったことです。しかし、特別の「お仕事」も無い日々では6~7時まで、わざわざ夕食の時間を引き延ばす理由もないのです。そんな夫の屁理屈の理論(笑)にも妻は同意してくれました。早く終えて、早く片付けを終えればゆったりした時間が確保できるようで協力的に移行しています。
 夕食を終えても外は未だ明るいのです。
 片付けを終えた妻と一緒に「軽・ショッピング」も考慮して「歩く」ことにしました。スーパーに向かう老夫妻がすれ違うのは、部活動を終えたらしい中学生のグループです。「腹へったぁ~」の声が耳に入ります。これから帰宅した中学生の食欲も凄いモノだろうね、と二十年も昔になっている我が家の夕食風景を思い浮かべながらの老夫婦の会話は懐古の情でした。
 歩数としては往復で6000歩足らずですが、「食後の運動」と考えても健康維持には得策かも知れません。出来るだけ続けたいと考えています。
 それにしても、今日の雨は凄かった。ゲリラ的な強雨には慣れているので驚くことはない。しかし、驚いたのはテレビ画面に「茅ヶ崎に大雨の警報」が出たことでした。
 掲載写真は23日に出向した講演会を主宰された斎藤さんからのお礼の「絵手紙」です。掲載が少々遅れましたが、何枚頂いても「温もりと癒し」に浸ります。有難うございました。

2010/04/27

集団のトップリーダーは元気が一番!


  ~早朝の冷や汗と・・・感じること~
 ほぼ毎朝のように、確かにこの1か月は愛読している小学校のホームページであることは事実です。愛読しているブログは他に2つありますが、いずれも「集団のトップリーダー」の方々のモノです。
 小生も現職の後半15年間は、いわゆる「管理職」としてリーダー性を要求される立場にありました。集団の活性化は「トップリーダーの心意気」にしか存在しないという、小生の安っぽい哲学(紛い物)を確立させながら能天気人生で勝手に歩んで来てしまいました(笑)。
 やっぱり「トップ」は元気が良いですよね!
 心身共に元気であれば、少々の障害や普通の病原菌には他者の介入を必要としないで突破できると信じているからです。小生も30代に十二指腸潰瘍を患ったようです(笑)。その後の、人間ドックで発見され、医師に指摘されました。ビックリしていると医師は「自然治癒していますよ」と笑顔で応えていただきました。安堵するやら「我が無神経ぶり」を自認するやらの一幕でした。でも、胃の激痛が続いたことぐらいは自意識はありましたよ。胃腸薬を常備していた程ですからね。無神経でも胃痛の症状は自覚していましたので、どうぞ誤解のないように!!(笑)
 トップに立つと「自己責任に潰される」ような窮地に追い込まれることが多々ありました。同僚や仲間との協働は大きな味方となりました。取り分け、心の支えは職業柄ではありますが「生徒諸君」でした。熱い眼差しには「へこたれた先生」では太刀打ちできません。奮い立たせて遮二無二で突っ走った「若かりし頃」を思い出しながら、この学校のホームページを注目しています。 元気に前向きな姿勢で活動している校長先生のいる学校は絶対に大丈夫ですよ。そんな思いで毎朝チェックしているだけなんです。
 集団のトップリーダーの皆さんにはご苦労は多いでしょうが、実りも多いモノです。元気が一番。
 全国の多種業界の愛読者の方にもトップリーダーが多いようです。心身共に元気になるための「自衛策」は自己流の発見・発掘しか頼るモノはないようです。小生の自衛策は自作の呪文(=「あせらず・あわてず・あきらめず!!」)でした。今朝は元気に頑張っている校長先生の話題で「早朝の感動のお裾分け」としましょう。

2010/04/26

新・歩禅記(26)

  いずれが「あやめ」「かきつばた」?~
 こんな古い言葉を思い出した。
 お隣の庭に咲いた花(上・写真)を頂戴した妻は仏壇に捧げようとした。数秒拝借して一輪挿しにして写真に撮らせてもらった。妻に「これって何という花なんだ?」と聞いてみた。「アイリスじゃないの?」と応えた。この時期には毎年いただいている花である。
 今日の歩禅は爽やかな初夏の風を求めて昼食後にしてみた。
 陽ざしは珍しく初夏の感じはするのだが、木陰に入ると妙に風が冷たい。立ち寄り先を経由して久し振りの住宅街を抜けるコースを選んだ。素敵なお庭には初夏の佇まいが見え隠れする。茅ヶ崎では空に泳ぐ(?)ほどの鯉のぼりの姿は滅多に見ることが出来ない。5年ばかり前になるが、義父母の介護のために一旦故郷の九州に引き上げた頃を思い出しながら妻との会話が進んだ。話題の主は大空に伸び伸びとはためく「鯉のぼり」の姿だったが、歩禅の風景には映って来ないのでイマイチ盛り上がらす、実家の庭先に咲いていた草花の話題になってしまった(笑)。
 妻の亡き父親は広い庭先から庭に面している土手までにも広がるほどの敷地に、ありとあらゆる草花と果実のなる樹木を所狭しと植えていたようだ。梅・桃・ビワ・いちじく・柿・さくらんぼ・ぶどう等々、歩きながら妻の口から飛び出す種類に驚くばかり。きっと妻の脳裏には幼い頃の光景がハッキリ浮かんで来たのかも知れない。
 春は花爛漫。
 春から初夏に掛けて、あちこちから「菖蒲祭り」の話題も届く。どちらが美しいか?きわどい差を「花で」表現した言葉を思い出しながら、「他人の庭に咲く」満開の花を愛でながら約1時間の歩禅は満足に終わった。
 未だにはっきり区別できない。それは美の区別ではない。アイリスという花までご登場で「あやめ」と「かきつばた」を本当に識別できない小生に、今日は、更に困惑の拍車が掛かったのであります(笑)。
 
 

2010/04/25

日曜エッセイ 「親切と大切」

  ~「瓢箪から駒」~
 頂いたお菓子を食べたのは三日前のこと。
 美味だったことは記憶の中枢に未だ残存している今朝のこと。数日経ても「後片付け」が済んでいないことに気づいたので「燃えるゴミ」として処分しようと菓子袋を手にした。無意識の中に袋に書き込んである文字が目に飛び込んできた。
 「誰にも親切 父母を大切に」。
 この世はには似合わなくなってしまった表現である。なぜならば、「要らぬ世話だ」と一笑に付されそうなフレーズに思えたからである。親に向かっても平気で反抗的な返事をぶつけてしまいそうな世相になってしまっているからである。しかし、小生は無碍に捨てる気になれず、お茶を入れてくれている妻に語りかけてみた。「え、気が付かなかった」と応えた。勿論、小生も全く気づいていなかった。その程度の存在感。
 この文を掲載する製作者の意図はどこにあるのだろうか?こんな事を書き添えて売ったら嫌われるのではないか、と迷われることはなかったのだろうか。製作者や関係者の誰かが自身の「親」から学んだ「教え」の一つであると想定することは「当たらずとも遠からず」ではないだろうか。
 先日の沖縄・亡父追悼旅行がまた浮かんできた。父母を大切にすることは、生死には関係ないと心したのは今朝だけではない。「誰にも親切」は学校でも学んだ。祖父母の教えの一つでもあった。
 「捨てられずに存在し続けた」菓子袋から改めて考えさせられた朝である。
 

2010/04/24

30年前の中学生と再会


  ~教師冥利の「ミニ・同窓会」?~
 全国各地での講演と地元での講演とはこんなところが大きく違うのか!
 しみじみと実感した時間となった。30年前に勤務した中学校区にある講演会場である。会場は日本公文教育研究会・藤沢事務局管内の教室。会場周辺には大きな様変わりもあったが、そこかしこに「家庭訪問」で歩き回った時の名残は健在していた。あの時代と同じように少々道を間違えたことも懐かしさが倍増したのかも知れないが、実は、それは比ではなかった。
 開始前に、「先生、覚えていますか?」と教室のスタッフとして勤務しているという女性から声が掛かった。「***かい?」咄嗟に名前が出た。中学生時代の少女の顔が浮かんだからである。素直な笑顔とはにかんだ仕草は昔のままだった。優しい性格の彼女にはこの教室での「支援活動」は適役だろうと思った。二人のお子さんの母親だと言う。
 もっと驚いた。会場入り口に座りかけた女性。中学時代に担任した記憶がその動きから蘇ってきた。まさか!目を凝らして見つめ合ってしまった。お母さんらしい仕草は感じたが、目が潤んだままで言葉を発しないその女性に向かって、居たたまれずに小生から声を掛けた。「**ちゃんだよね・・」と。「はい」と相変わらず静かな応え方だった。彼女も二人の子どもの母親として、この教室に子どもを通わせているとの説明が教室の指導者より聞き出すことが出来た。彼女は当時中学校2年生。2年9組という学級で担任だった小生のクラスの一員であった。海外研修の出張先(イタリア)に届いた「学級からの手紙」に書いていた彼女の文字が浮かんできた。涙ぐんで座ったままの**ちゃんは、当時の**ちゃんのままだった。嬉しい再会を仕組んで(?)いただいた指導者の心意気に感激してしまった。
 もう一人会場には参加していた。彼女は、1年前に市内の中学校で出会っている。保護者会の役員としてのその後も頻繁に接触している。この会場から目と鼻の先に実家がある。担任ではなかったが骨折した彼女を車で送迎したことがあるらしい(笑)。多くの生徒の世話をしていたので個々の対応は細かに覚えてはいないのだが、再会して彼女から説明を受けたら「そういうこともあった」と朧気な記憶が浮かんできた。事実のようだ。役員をしている中学校の保護者会同志が一緒にこの講演会にも出席してくれたようである。
 会場の主宰者(教室の指導者」から帰り際に「お土産」を頂戴した。
 自宅に帰って妻に「先生から貴方に」と頂いて来たよ、と手渡した。妻が開いて歓声が揚げた。「一足早い鯉のぼり」ね、と。雨模様の寒い気温が続くので「五月晴れ」に泳ぐ鯉のぼりの季節を忘れていた。読者の皆さんにも「一足早い鯉のぼり」の晴れやかな気分のお裾分けです。写真でご堪能下さい。
 教師冥利とはこんなこと。30年ばかり前のあの日の未熟な教員には目映いぐらいに成長した「お母さん達」との再会だった。中・高生の親として奮闘中の母親達。今までの「子育て」とは趣を異にするが、「もう一頑張り」してもらいましょう。わが子が立派な社会人となるまで「もう一息頑張るんだぞ!」と心の中でエールを贈りながら充実した時間に終止符を打った。今日も教師冥利を満喫できた「感謝」の一日であった。

2010/04/23

新聞を読んで・・・(2)

  ~「大人」の定義と意識の養成~
 昨日の朝刊「神奈川県版」の記事。
 新聞に目を通しながらこの記事で「ハッと」して思考回路が立ち止まってしまった。数年前から気になっていた内容が、「ここまで」来てしまった事への落胆である。「大学」というのは一般人としての教育機関としては最高学府ではないか。そのキャンパスの片隅にこのような類の「掲示板」が立っていると言う現実を、日本人の「大人たち」はどんな思いで読むのだろうか。大学教育関係者だけの責任かな?大学という教育機関はこんなことにエネルギーを費やしていて良いのか?胸が痛む思いに駆られた小生の心情をお察しいただける大人仲間が多く存在して欲しい。
 小生は「教育する」専門機関(=学校)に勤務して「大人としての大半」を過ごしてきた。
 時代の流れと共に教育に関する考え方も大きく様変わりしている。ここのスペースでは到底述べる事など出来ない。誕生した赤ん坊は、幼児期~少年期~青年期を経て「立派な大人」に成長する。その成長の源は、その時期に関わる「大人たち」が見本であり手本なのである。とすれば、その作用すら機能しない集団の力が衰えたとしか言えないのではないか。
 一時期流行った表現に「指示待ち人間」がある。
 まるで指示を待っている未熟な青少年を愚弄するような感じに取られるのが辛かった。未熟である時代を生きているからこそ「指示を待っている」のは当然の成長過程での現象ではないのか。的確な指示と意欲を掻き立てるような指導をすることが出来ない大人たちの未熟さに大きな問題があることを気づいて欲しかった。大人には急に慣れるモノではない。年齢だけが達している大人はその「禊ぎを受ける儀式」を正しく通過していないのである。成人式の体たらくは新聞をはじめテレビ等でも不愉快になるような話題として「今の若者はここまで・・・」と評した。そうさせてしまった大人集団の「大人力」(あまり好きではない表現だが)の体たらくであることを真剣に考えるべきではないのか。
 今日は午前中に講演会に出講の予定である。対象は幼児期から小学校に通う子どもを育てている「親集団」である。この種講演会への講師招請が多くなっている。その事自体が良いのかどうかわからないが、一人でも多くの親が「大人力」の必要性に気が付いてくれるような話題を提供してお務めを果たしたいモノである。
 

2010/04/22

また、新しい素敵な出会いが!



  ~感動の「鳴き声」と感激の「メール」~
 横須賀市の小学校に行って来ました。
 京浜急行「追浜駅」からほど近い小学校ですから「都会部」に属する環境です。ところがビックリ。都会の喧噪には場違いの泣き声に歓迎されたのです。その主は「うぐいす嬢」(?)の素敵な声でした。校門を入るや否やの「歓迎の声」に、我が耳を疑うほどでした。運動場では元気な子供達が遊んでいました。その歓声に勝るとも劣らない鳴き声に感動してしまいました。玄関先にお迎えいただいている校長先生・教頭先生へのご挨拶を忘れてしまうほどの「歓迎」と受け止めてしまったからなのです。
 2時間という打ち合わせの時間が初対面とは思えないほどの和やかさで過ぎてしまいました。校長先生の情熱と意欲に「お応えできる」かどうか不安はありますが、請けてみたいと心熱くして帰って来ました。お見送りいただいている間にも、何回となく鶯の鳴き声が校地内に響き渡っていました。きっと、「また来いよ!」と言ってくれていたのでしょう。
 随行していただいた業者の方達と夕食を済ませて帰宅しました。
 帰宅しての最初の仕事はメールチェックです。開いて、今日は2度目の感動は感激に変わりました。先週末訪れた沖縄からのメールでした。現地ガイドの大城龍二氏からの写真付きのメールです(写真掲載)。ご自身の「仕事への誇り」の表現は、現地での「心からの案内」に触れている者としては納得以外何物もありません。百合の花の写真には、旅を延長してでも見たかった旅人への現地ガイドさんの思い遣りとして受け止めました。胸が熱くなりました。
 何よりもメール受信日です。4月21日は、沖縄で戦死した父の戦死公報日なのです。その慰霊のための訪問だったのですから「出来すぎた」贈り物となりました。現地のガイドさんが仏壇に手向けていただいたかのような素晴らし百合の花です。ご覧下さい。直ぐにプリントアウトして仏壇に捧げました。
 昨日も感動と感激の二重奏でした。



2010/04/20

新年度の「初仕事」は市内の小学校で。


  ~「現職教員」に戻りたくなりました!~
 出講要請は遠距離が多く、近くの「お勤め場」は貴重です。
 昨年度に引き続きアドバイザーをお引き受けしている小学校です。時代の波の先頭を走る(?)研究を学校独自で推している体制に絆されて関わることになりました。2年目とは言え、人事異動の激しい世相はこの小学校にも強く反映していました。昨年度の研究主任の先生も異動していました。
 校内研究通信(研究主任の手による発行物)をご一読ください。
 指導助言者の「ハートを盗まれた」表現には驚きと同時に感激してしまいました。前任の研究主任の意気込みに「凄み」が加わった感じすら受け取りました。「ここまで期待されれば・・・」、いかに鈍感な小生でも燃えたくもなります。資料としては掲載しませんが、独自に作成した「東海岸小学校バージョン」のワークショップを展開しました。各学年での「真剣な取り組み」に、小生自身の「今後の指導力」に浮沈を賭けるのではないか、と胸騒ぎすら感じたほどでした。
 全国の皆さん、写真の建物をご存じでしょうか?
 この写真で「英語の授業」を創ってみたくなりました。その展開例を今日の研究会でご披露(笑)してしまいました。この写真がメイン資料ですが、副資料として東京タワーの写真も準備しました。小学校の英語活動には「担任の先生の人生観」を映し出せそうです。難しい英語の発音を教えることに終始するのではなく、「人生を語る」機会と捉えて、「共に愉しみながら」英語という外国語を思い出して欲しいモノです。この資料で、角田明というアドバイザーはどんな人生を語りたかったとお思いになりますか?
 単細胞のあどばいざーの思いを全身で受け止めてくれる学校ぐるみの体制との出会いに感謝しています。せめて「持っている(?)」英語指導に関する知的財産を提示できるように努めたいと心して帰宅しました。
 今日がこの爺の請負仕事の「始業式」です。教員に戻りたくなりました。
 明日からほぼ毎日のように東奔西走の人生が始まります。これは幸せな人生なのです。スケジュールが許す限り、要請があれば出来るだけの対応したいと、改めて心新たにしました。



2010/04/19

今日も「琉球症候群」の生活(笑)

  ~「お土産」はモノと話?~
 歩禅としては補填出来ないが、自転車で走行した距離は旅の後遺症。
 お土産を息子や娘の自宅に送るために宅配便の集配所へ走ったのが第1弾。第2弾は、お礼状を投函するために郵便局を往復。そこに、沖縄から送った品物が届いたのでてんてこ舞いであった。しかし、自転車のペダルも加齢によりかなり重みを感じてしまったのも実感(笑)。
 昼食を済ませてから、厚木市内に住む妻の従姉の家まで、(今度は車で)走ることになった。
 タイミング良く、午前中に長女の嫁ぎ先から「筍」が届いた。従姉の大好物だというので琉球の香りと一緒に運ぶことになった。沖縄旅行の策定から実施計画、そして実行まで妻が語り始めた。「いとこ同志」の会話は楽しく止めどもない。その上に「お祖母ちゃんとしての苦労話」にも転化してすっかり長居してしまった。
 帰宅して夕食。夕食を済ませてから、近所のスーパーまで買い物があるというので妻と一緒に出掛けた。歩きながらも対話の中心は「おきなわ」での出来事。今日も、まだまだ「琉球症候群」の患者で御座いました。

2010/04/18

65年間の「思い」を成就して






  ~子ども達と妻への感謝を胸に~
 3日間の「念願成就の旅」から帰ってきました。
 祖母の「寝物語」を聞いて育った少年時代の「思い」を、三人の子ども達(二人の娘・一人の息子)の家族の心遣いと妻の思い遣りで果たすことが出来ました。ここでは詳しいこの日までの「歴史」(笑)は語れませんので、掲載した写真の説明でご勘弁願います。
 亡父の戦死の場所が「伊江島」(沖縄・海洋博の実施会場側近)だと聞いて育ちました。
 海洋博の開催時期には現職で多忙さもあり「思い」を先送りにせざるを得ませんでした。パンフレットの「戦跡」をご覧下さい。「芳魂之塔」に記載されている「4月21日」が、遺族に知らされた「命日」と同日です。父の命日は昭和20年4月21日と墓石に刻印されています。聞いていたことと符合しました。
 2枚目の写真は、遠くに浮かぶ「伊江島」の全景です。どんどん近づいてくる島の景色に、顔も知らない父親が「この島で死んだのか」と思えば思うほど熱い思いが込み上げてきて霞んで見えなくなる心境でした。3枚目の写真は、乗り合わせた若いカップルが写真を撮っていましたのでお願いしてシャッターを押してもらいました。
 島に上陸して、念願の慰霊塔に到着しました。
 ツアーの行程で「私的な我が儘」が許された幸運は何とも表現できません。伊江島という父の戦死地で父の名前を目にしたときには「涙」以外何も出てきませんでした。言葉を発することが出来ませんでした。妻が肩に手を当てて「良かったですね、念願が叶いましたね」と声を掛けてくれた瞬間の号泣は65年間の「父なし子」として育った寂しさを表現した極々自然体だったのでしょうか。この劇的な場面は、偶然ですが、このツアーに大分県から参加されたご夫妻との出会いで実現しました。感謝と言うより「父の力で引き合わせて」貰ったとしか言い様がございません。そのご夫婦と記念撮影もさせていただきました。この奥様のお父様が父と同じ兵隊の一員であったとのことでこのツアーに参加申し込みをされたとの事でした。地元ガイドさんのご好意(写真を撮っていただいた)も生涯忘れることは出来ませ。ツアー旅行でこのようなオプションが生み出せるなんて出発前には全く想定していません。現地での幸運との遭遇に「神懸かり」を禁じ得ませんでした。
 最後の写真は平和祈念公園の「全国戦没者碑」の中にある父の氏名板です。この部分は以前に訪問された方々から何枚も写真を頂戴していました。しかし、自分の目で確かめることの興奮はまた格別でした。
 そんな「素敵なツアー」から元気を頂戴しました。旅先から3人の我が子ども達にはメールでお礼を送信しました。しかし、大したことも出来ない愚父ですから「心深く」感謝していることは上手に伝えることは出来ませんでした。
 「余生を大切に生きることで許して貰いましょう」、と勝手な結論を下した朝です。
 





2010/04/14

新・歩禅記(25)


  ~隣町の田園には着実な季節が・・・~
 妻が美容院に9時の予約をした、というので送っていくことにした。
 美容院は隣町にある。30年前に住んでいた家の近くにあり長いお付き合いをしているらしい。30分しか掛からないというので近くにある県立高校の脇に車を止めて「歩くことに」した。独り歩禅である。そして、写真の光景に出会した。散在している「菜の花」ではない。つまり群生では無く栽培されている畑の一角であることが直ぐにわかった。「菜種油」の黒い粒状の種が浮かんできた。少年時代に庭先のゴザの上に干されていた。手に取るとくすぐったくなるほどの触感だったが気持ちいい感触も覚えている。長兄が1升ビンを2本持ってきて、干していた菜種を絞って出来た油だと見せてくれた。「あれだけ沢山の量の種から、たったこれだけ?」と訝しがる弟に「そうだよ。だから大切に使わなくっちゃいけないんだぞ」と教えてくれた。そんな少年時代が彷彿としてきた。
 数十㍍しか離れていない田んぼには「レンゲの花」が咲き出していた。
 レンゲはその花より「根」が稲の栽培のための肥料になると叔父に教わった。辺り一面のレンゲ畑は子どもの遊び場の提供だと勘違いをしていた時代もあった。叔父の説明が納得いった訳ではない。しかしレンゲの花が枯れる頃になると「田起こし」が始まっていた。幼い頃の光景は田起こには馬が活躍していた。あっと言う間に水田となったことも思い出された。季節の移ろいを実感したものだった。
 ここの地域のレンゲ畑には、また違った思い出がある。
 我が家が30年前にはこの近くに住んでいたので、子育て中の「お散歩」の途中。ここでのレンゲ畑は格好の遊び場であったからである。おにぎりとお菓子を持参して子供達と食べた場所でもある。その子供達も長女が間もなく40歳を超えてしまいそうになった。それでも、この地にレンゲ畑が健在であるのが何だか嬉しい。
 走馬燈に浮かぶ光景を満喫しながら歩く「田園」風景は心のオアシスである。
 このレンゲ畑で遊んで育った3人のわが子達から「大きなプレゼント」が届いている。明日から夫婦で「沖縄旅行」をすることになった。沖縄は小生の亡父が戦死した島である。一度は慰霊塔を訪問してみたかったが今までにチャンスらしきものもなく今日に至ってしまった。今年は我々夫婦も結婚40周年らしい(笑)。そのお祝いに「沖縄のお父さん」に会いに行って来い、と言うではないか。戸惑いもありながら、子供達の心遣いを素直に受けることにしたのである。
 明日から3日間。このブログも暫し休刊します。
 「お土産ブログ」の発刊を是非ともお楽しみにしていて下さい。行ってまいりま~す。
 

2010/04/13

新・歩禅記(24)

  ~墓地を探しに歩いた~
 探し当てた墓標に「平成16年4月25日 享年60歳」という文字を確認した。
 妻に取っては大切な近所の友人である。平成16年4月と言えば、妻は実父母の介護を本格開始した時である。茅ヶ崎に転居して数年後に引っ越してこられたこのご家族は双方の長男が同級生であったことも要因ではあっただろうが「馬の合う」母親仲間としてのお付き合いを始めたのだ、と妻が懐古する。まだ40才代になったばかりの頃から症状が発覚したようであるが、「意識すればするほど真っ直ぐに歩けないのよ」と当初は明るい表情で「その内に治る」かのような話し方だったらしい。いつの間にか進行して、寝たきりになってしまわれたようだ。ご主人の献身的な看病と介護の甲斐もなく59才の若さで他界してしまったのである。
 その数年前から妻は両親の老化に伴い、遠隔地・九州に住む親の元にしばしば出向き始めていた。平成16年3月31日で小生も(定年退職1年前)に職を辞して、取り敢えず「転住」して両親の介護に当たることにしたばかりの時である。たまたま、小生はこの奥様のご葬儀には参列できた。勤務校の「歓送迎会」に出席するために九州から茅ヶ崎に戻ってきていたからである。もの凄い強雨のお通夜であったことを明確に記憶している。同席されたご近所の皆さんが涙ながらに「涙雨・悔し涙」と表現されたことも実感と共に記憶している。
 昨日、雨の中を自治会の役員さんとして訪問された玄関先で、そんな萬話をしていると、妻が「お墓はどちらですか?」聞き出した。
 聞いて驚いた。暇があれば「歩禅のコース」にしている、友人・大瀬敏昭氏のお墓と目と鼻の先にあることが判明した。妻も友人の墓には何回となく訪れているのですぐにわかったようだ。
 そして、今日は晴天。
 気温も高くなり「お散歩」にはもってこいの日和。妻の申し出を受け入れてお墓を探しに行くことにした。直ぐに見つかった。ホッとして額ずく妻の姿からは「親しかった友人」との再会が叶った安堵感が伝わってきた。本来なら「孫の話」でも出来る親しい友人だっただろうに、と隣で夫も瞼が熱くなってしまった。他界された後結婚した息子さんにもお孫さんが誕生していると言うではないか。人生の無情とはかなさを感じた。帰路の多くの時間を無言のままに二人は歩いて帰って来た。心からご冥福を祈るばかりである。

2010/04/12

一歩も外出しない終日

 ~こんな日もたまにはあっても?~
 近所の人が来られたので玄関先で対応したのが部屋を出て歩いた最長不倒距離(笑)。
 こんな日が時々ある。電話も千葉に住む長女から1本掛かってきただけ。メールも早朝に受信した1通だけ。郵便物も小生には興味のない無縁なダイレクトメールだけ。そう言えば今日は新聞休刊日。起床直後の「お仕事」の朝刊読みも休業。
 昨日は新規事業参画ための打ち合わせで東京・高田馬場まで出向いた。「暑かった」の一言。帰宅が午後の10時半にもなったが心地よいぐらいの気温であった。それに引き替え今日は急変。寒の戻り?朝から気温も低く、窓から見える風景も寒そうだ。
 注文していた本が、昨日の留守中に届いていた。グッドタイミングとはこんなことか。ホットカーペットにスイッチオン。横になってゆったりと読書に没頭。いつの間にか午睡に入ってしまったようでまさに「毎日が日曜日」の主人公としては至福の時間となりました。いずれ、小生のHP「イチオシBOOKS」でこの本を紹介いたしましょう。
 こんな日もたまには良いですかね?

2010/04/10

新・歩禅記(23)

  ~まだ、こんなにキレイな桜が~
 歩禅のスタイルも思いつきで変わります(笑)。
 確固たる根拠もないのに「突然に」変更する?夫の人生そのもの・・・、と妻は全く動じなくなっております。これも結婚40年の教育の成果?とんでもございません。いつの間にかこうなってしまいました!
 10年前に、一気に「10000歩」を目標として歩数計も準備しました。購入した時点では腰ベルトに装着していることを意識しつつ一歩でも多く歩く努力はしてまいりましたが、加齢のリズムと合致しなくなったようです。足の裏が痛かったり腰が重かったり、と共生していると思うようにいかないのが人生でございます。
 そこで、今回の変更点は?
 食後の散歩を意識することにしたのです。つまり、一日二食制の我が夫婦にとって「食後の散歩」は2回となるわけです。昼食後に7000歩、夕食後に5000歩を今日は歩いてきました。特段の健康効果を狙っている訳ではありませんが当分は続けてみようと思っています。
 写真は昼食後の散歩で通過したJR相模線「香川駅」構内に、今が満開に咲いている桜の風景です。近くの商店街を通り抜けながら会話が耳に入って来ました。「まだ、こんなに桜がきれいなんだよね」と。弾むような声に「惜しむ春」を感じ取りながら快適な散歩を終えました。

2010/04/09

新聞を読んで・・・。

  ~「短所」の隣には「長所」がある?~
 おはようございます。 昨日版のブログを届けます。
 鍼診療・定期便は木曜日です。車で1時間45分かかる診療所に「9時半予約」診療のためには茅ヶ崎の自宅を7時半には出発することになります。我々夫婦は早起き鳥です。しかし、二人同伴で出掛けるとなると早朝の時間は慌ただしいモノになってしまいます。いつもの夫だけのマイペースも崩れてしまうわけです。ブログを認める時間確保も厳しいのです。これ以上述べれば、単なる言い訳になりそう・・・(笑)。
 4月2日号の本ブログ誌上で取り上げたばかりの「教科書」に関する記事。
 昨日の新聞でまた発見しました。日本の高校生は教科書が好き。とても良い見出しです。ところが良く読んでみてください。見出しと中身がちょっと違う?新聞記事を含めてマスコミ関係の資料は、殆どが「見出し」に関わっての記事内容の「落ち」が、批判的な文章でまとめられてしまうのです。小生は寂しくなります。教科書が嫌いな高校生は個々には登場してこないのですが、「教科書を好きな」高校生が、視点・観点を無理矢理に変えて「でも、体験・発言は苦手」と批判的に括られてしまっているのです。
 「お勉強は出来るが積極性が無い」と言われると欠点の「積極性がない」方が優先されてしまいそうですよね。「お勉強も出来て積極性もある」子どもを育てることが教育の本来の目的なんでしょうか。お勉強が出来るという長所があれば消極的であるという短所もある。これは当然のことです。短所のすぐ隣には長所がある。そう思いたくありませんか?そのバランスを無理矢理に取ろうとすると「歪み」が育ってしまうような気がしてなりません。
 「お勉強は出来るが積極性がない」と烙印を押されたのは、何を隠そう、この小生の小学生時代のことなのです。これは小生を知る周囲の方達でも殆どがご存じではないことです。いつの間にか「積極的な」人間に変身してしまっているのですから無理もございませんね(笑)。どうして?それは、また、それなりの新聞記事に遭遇した時のお楽しみに・・・・。

2010/04/07

新・歩禅記(22)

  ~長生きしたくて歩く?~
 「歩禅」という表現は、退職直後に読んだ本の中で「歩きながら生き方を考える」と言う意味です。
 使用されていた箇所を引用させていただいて語尾に「記」を付けて、辞書にも載らない造語になりました。そして、「歩禅記」を書くことにしたのは、「歩きながら考えたことや気づいたこと」を、そのままに文章表現しておけば忘れてしまいそうな事柄でも後日読み返すことできるかも知れない。何らかのプラスになれば、と考えついたからです。つまり退職後の「歩くこと」への一念発起の証なのです。
 長生きをしたくて「歩禅を採り入れている」とまで言明は出来ません。
 足腰の衰えのために他者の力添えを必要しなくてはならなくなる年齢を少しでも遅らせたい、と思っていることは事実です。多くの同僚達が激務の連続だった現役時代を何とか乗り越えて退職します。「毎日が日曜日」は、現役時代に最も憧れた「夢の時空」でした。しかし、いざ現実の生活として直面してみると「自由な時間」が多くなればなるほど「自由裁量」の意思の弱さを吐露してしまいます。不規則な生活から健康状態に変調を感じるようになってしまいます。恐ろしいことです。
 歩禅記を書くようになってから6年が経ちます。
 読み返すと恥ずかしくもなりますが、「歩くこと」の習慣性が定着していることを実感することが多くなりました。自宅~JR茅ヶ崎駅の30分間の歩行は全く苦にならなくなっていることがその証明です。カバンは手提げ型ではなく背負う形(リュック)にしたのも歩行が楽であることからです。
 掲載新聞は本日の朝刊からです。
 大好きなプレーヤーだった野球選手(巨人・木村拓哉コーチ)が37歳の若さで本日未明に人生を終えたニュースを知りました。衝撃が大き過ぎました。死因は「くも膜下出血」とのこと。「脳卒中」という分類に入る病名だと知りました。偶然ですが、「速く歩く」ことと脳卒中との関連データを新聞記事で読みながら、隣にいる妻と情報を分け合いました。
 午後から降雨の予報でしたので、午前中に歩禅は済ませました。まだ、その時点では訃報は無かったのですが、朝刊記事については夫婦の対話のメインテーマとなりました。妻には強力な後押しになる記事になったようです。夫には「男性への後押し」にはならなかったのがチョッピリ不満でございます(笑)。
 途中で予報より早い雨が落ちてきたので30分少々で引き上げて帰宅しました。こんな歩禅もあります。

2010/04/06

新・歩禅記(21)

  ~「桜の花」も今日が限界?~
 今日の歩禅は全く目的地無しのぶらり散歩。
 午前9時。家の前にある小さな通りの様子がおかしい。最初に訝しがったのは妻。真新しいランドセルを背にした男の子がピョンピョン跳ねるが如く通過した。その後を両親と思しき若い男女が小走りに追いかけて通り過ぎた。「あれ?昨日だったですよね、小学校の入学式は」と妻が畳みかけてきた。不動の人生哲学を貫く(笑)夫は、「そうだよ」とサラリと言い放って、何気ない視線を通りに移した。後ろ姿の親子姿は正しく「入学式」バージョンではないか。「4月5日は茅ヶ崎市では入学式」と思い込んでいる老脳には、今年は違ったのだとの反射神経が、この光景を見せつけられても容易に到達しないのである。「あれ、おかしいな~」との呟きの連続は、正真正銘の「呆け症状」の露呈か?
 早い昼食(朝食を摂らないので11時頃を昼食時間としている)を終える。
 「腹ごなし」をしようとぶらりと出発。目的地のない歩禅はいつものように近所の小学校に向かっていた。入学式であるかどうかは時刻から判断は出来なかったが、通りがかった低学年の児童らしき子どもに訊いたみた。「昨日は入学式だったんでしょ?」と。「いいえ、入学式は今日です」としっかりした言葉が返ってきた。このダメ押しで老脳は「現実を認知する」羽目になってしまった。
 自信満々?勝手に決定していた「入学式」の日程。読者の皆さんには大変失礼いたしました。訂正してお詫び申し上げます(笑)。茅ヶ崎市の入学式は本日でございました。
 桜も花びらが飛び散り始めた。今年の桜は入学式まで立派に咲いていてくれたようだ。小学校の正門を通過して「入学式」を確認しながら歩禅を続けて帰ってきた。

2010/04/05

入学式当日は「終日の雨」

  ~先生・親こそ、心を引き締めて~
 小生の住む茅ヶ崎市は、今日が小中学校の入学式のようである。
 昨夜からの独り念仏(=「明日は晴れますように・・」)の威力もなく空しいほど強い雨音が聞こえる朝になってしまった(誰かに頼まれたわけでもないのに!)。
 二昔(20年)ぐらい前の入学式は、(視点は異なるが)昨今の入学式とは華やかさが違っていた。なぜ?それは親の装いである。現代風に解釈すれば「子どもの入学式に何で親がおめかしするの?」と詰問が飛んで来そうである。しかし、視点・観点を変えてしっかり考えてみてはどうだろうか。親の晴れ着は邪道と断言してしまって良いものだろうか。
 母親が和服姿でわが子の入学式に参列する。
 時代は移っているので「和装」は日常的ではないのは確かである。確かな事実であると万人が認めるのであれば考え方の視点を「通常ではない和装」に的を絞れば良いではないか。つまり、通常(普段着)には無い「特別な意識」の下での正装であると理解できるではないのか。親も「心引き締めて」わが子の入学を意識する出で立ちが和装であると理解すれば意義ある数時間となるのはないか。
 本日の掲載資料は、愛知県教育庁海部教育事務所長・玉置崇氏のブログを勝手にレイアウト・編集したモノである(字句や表現は原文のまま)。通勤電車内での「高校生達の大人観」を読ませて貰った。大人の急所を突かれてしまっている内容だと感じる。大人は「自らの」立場の自覚とそれに伴う自己研鑽をどこかへ放棄して、若者達への要求と指示だけで事を済ませてしまおうとしているらしい。冷ややかにこの高校生集団は見抜いているということではないか。
 学校行事の中に「儀式的行事」がある。
 入学式や卒業式はそれなりの服装で教職員も対応するが、始業式・終業式・修了式等への意識はかなり低くなり、服装も普段着で済ませてしまっているような記憶である。先ず、指導的立場にある大人の「折り目正しいけじめ」が必要なのではないか。そして、ここまで言い切れる高校生達の成長に負けないためにも指導者としての自己研鑽を心して欲しいモノである。
 窓を濡らす雨を見詰めながら、こんなくだらないことを呟くばかりの老脳である。

2010/04/04

新・歩禅記(20)


  ~この位冷えれば「さくら」は未だ・・~
 現職の校長時代のお話し。
 そんなに古い昔の話ではございません。入学式当日に「桜の花」をタイミング良く愛でることが出来るのは幸運としか言い様がないほどです。明日に入学式が迫った日、小生が思わず「頼むから、明日まで散らないで欲しい!」と懇願するような言い方をした時でした。長男に「祈れば桜の花って散らないでいるのかな」と素っ気なく呟かれ家族中で大声で笑われたのです。とんだ顰蹙モノでした。しかし、今となっては純粋なお祈りだった(笑)と微笑ましく思い出しました(小生だけ!!)。
 今日の歩禅は近くにある学校の校庭にある桜の様子を見に出掛けました。5校を巡って帰宅しました。どの桜も「大嵐」が来ない限り、明日の入学式にはきれいな花を見せてくれそうで す。ただ、心配なことは明日の空模様が「雨の予報」だと言うことです。晴天の下で、満開の桜の花に祝って貰える入学式であって欲しいのです。職業病は退職しても根絶は難しそうですね。
 通学路には毎年、花梨の花が咲きます(掲載写真2枚}。清楚な花が本格的な春の季節を運んでくれます。とても好きな花に一つです。今日の冷たい空気にはちょっと控えめで蕾のままですが、、桜の花が散った後には存在感で通学路を華やかにしてくれることでしょう。
 
 晴天の京都から・国宝醍醐寺三宝院の桜の写真(右)が届きました。前売り
券を求めるだけでも1時間を要するほどの混雑だったようです。今の京都は観楼のお客様で連日どこも超満員のことでしょう。





新聞記事に同感!

  ~不安を煽るばかりの「世論」?~
 間もなくどこの学校にも「新入生」が入学して来る。
 そして、キラキラ輝く入学式。取り分け小学校の入学式は温度が違う。小生は高校~中学校~小学校の勤務経験者である。経験からハッキリ断言できるのは事実である。あの「華やかさ」はどこから来るのか?それは一口で表せば「期待感」ではないだろうか?つまり、「これからどこまで成長してくれるのか」という夢を託す始発駅だからではないかと考える。中学校や高校の入学式はまたその趣が変わって来ることは当然である。
 平成23年度から、その小学校の教育内容が大きく変わる、と言う。
 日本という国家には、「不安を煽る」ことで経済機構の活性化を目論む業界が寄生しているように思えて仕方がない。学校教育だけでは不安であるかのように煽る現象はいつ頃から始まったのだろうか。専門的な見解も、最近は見聞きすることが異常に思えて仕方がない。これも一種の煽りから来る「不安感」とすれば由々しき事態である。教育内容が「増える」ので教科書も「分厚くなって」、「先生方も大変だ」と論及して迫られれば保護者ならずとも不安になるのは仕方が無いのか。
 この新聞記事をお読みいただきたい。母親でもある記者が書かれたようである。
 全く仰るとおり!!教科書に振り回されているようでは教師の風上にも置けない。教科書、正式には「教科用図書」と言うそうだ。教科書は「主たる教材」と国が位置づけている。つまり、「教材として活用できる」最も身近にある超・便利品なのである。しかも「検定済み」とあれば安心して授業で扱うことも出来る。教科書に取り上げられた各種の材料を、様々な視点・観点から分析することは、指導者としての教員には必須条件である。それを「教材研究」と称する。教材研究こそが教師の使命である。
 立派な教科書が国から無償で提供されるのである。
 教員が教科書に振り回されているようでは保護者どころか足下の「児童・生徒」に信頼などされなくなるのは当然である。「先生が教科書です」と言い切れる教育を行って欲しいモノである。
 退職して、もう何年にもなるという老体が力んでもどうなることでもない(笑)。
 後輩諸兄に「期待しつつ」お願いしたいと発しているだけである。世論の「不安の煽り」に負けること無く、児童・生徒たちと共に力を合わせて新学期をスムーズに発進されることを祈るばかりである。

 昨日、この原稿を投じてから孫達の待つ茨城県土浦市へ向かう予定でしたが時間不足で出来ませんでした。新聞記事は4月2日のものです。遅くなりましたことお許し下さい。 

2010/04/02

『大切な命』

  ~「原稿」が届きました~
 去る3月20日(土)に、二人の青年と会いました。
 同じ中学校を卒業した二人は、4月から自ら決めた進路を歩み始めています。一人は婦人警察官、一人は介護士の資格を習得するために専門学校を選んだそうです。介護士を目指す一人の青年は義足で生活をしていることを会場で知りました。明るく爽やかな青年の言動から、「僕は障害者です」との自己紹介が無ければ全く分かりませんでした。話しが進む中で自らの苦悩を語る機会があったことを知りました。中学校3年生の時、学校代表で市内弁論大会に出場したとのことでした。
 別れ際に、小生から、「その時の原稿は今もありますか」と問うと「はい」と応えてくれました。「見せてもらえないか」とお願いしました。こういう立派な青年の生き様を全国の皆さんにもお知らせしたい旨伝えると、「清書して」メールで送信することを約束してくれました。
 先日(3月30日)、約束通りにメールにて原稿が届きました。
 4月には入学する専門学校のある県外に移動するとの情報でした。茅ヶ崎を離れる前にきちんと約束を果たしてくれました。掲載写真がメールの原稿をA4版に転記したものです。字句の訂正は全くありません。作成上レイアウト・装丁には小生の手が加わっていますので原版とは異なる点があるとは思いますが、青年の主張は原文のままです。
 小生が主宰する講座に「基調提案者」として登壇したことがキッカケで重要な「青年の人生論」を全国の皆さんにお届けできることになりました。出会いの妙を実感している朝です。青年達の4月からの「新しい出発」に幸多からんことを祈るばかりです。
 茅ヶ崎は今は「春の嵐」が吹きまくっています。青年達の人生にも「花も嵐も」あることでしょうが、どうぞ挫けずに「目標に向かって」歩んで行って欲しいモノです。

 原稿をクリックすると大きな文字版になります。じっくりお読み下さい。作文コンテストではありませんので文章表現の優劣ではございません。発症した時点での中学生の葛藤と、その後の人生観の転換を読み取っていただけると嬉しいです。
 

2010/04/01

新・歩禅記(19)



  ~さすがに、ただ今「春休み」中~
 今日の歩禅記は「歩いて取材」した記録ではありません。
 午後から雨の予報を得ていましたので、通常の歩禅は午前中に既に7000歩を済ませてあります。
この写真は午後、車で訪れた隣町・寒川町の町営公園の桜を撮ったモノです。今日は土日でも休祭日でもないのですが、沢山の花見客でした。驚きながら考えてみると、今はまだ「春休み」だったのです。自転車で走り回る子供達や思い思いの遊具で歓声をあげるいくつもの集団の楽しそうな光景があちこちに見受けられました。楽しそうな風景を見ながら妻がポツリ、「孫達と一緒だと良かったね」と。
 実はこの公園の観楼が主たる目的ではありません。
 この公園に隣接して地元農産物の直売所があります。月に1回以上は妻に付き合って運転してくる所です。新鮮な野菜を手に入れられるらしく近隣では人気のスポットだそうです。土日のお客様の混雑は道路状況にも影響が出るほどの直売所です。今日は駐車場も空いていましたので、買い物を済ませて駐車場の車に野菜を置いて信号を渡ってこの桜を観に移動しました。
 公園の桜は6~7分咲き?
 かなり強い風も吹いていましたが「花吹雪」にはなっていませんでした。終末は満開の桜の下で楽しい「お花見」が期待できるようです。帰路の車中、カーラジオが「東京は桜が満開になりました」と情報を提供してくれました。ここ湘南も、正に「観楼の季節」になったようです。皆さんの周囲ではいかがでしょうか?


自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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