2010/04/14

新・歩禅記(25)


  ~隣町の田園には着実な季節が・・・~
 妻が美容院に9時の予約をした、というので送っていくことにした。
 美容院は隣町にある。30年前に住んでいた家の近くにあり長いお付き合いをしているらしい。30分しか掛からないというので近くにある県立高校の脇に車を止めて「歩くことに」した。独り歩禅である。そして、写真の光景に出会した。散在している「菜の花」ではない。つまり群生では無く栽培されている畑の一角であることが直ぐにわかった。「菜種油」の黒い粒状の種が浮かんできた。少年時代に庭先のゴザの上に干されていた。手に取るとくすぐったくなるほどの触感だったが気持ちいい感触も覚えている。長兄が1升ビンを2本持ってきて、干していた菜種を絞って出来た油だと見せてくれた。「あれだけ沢山の量の種から、たったこれだけ?」と訝しがる弟に「そうだよ。だから大切に使わなくっちゃいけないんだぞ」と教えてくれた。そんな少年時代が彷彿としてきた。
 数十㍍しか離れていない田んぼには「レンゲの花」が咲き出していた。
 レンゲはその花より「根」が稲の栽培のための肥料になると叔父に教わった。辺り一面のレンゲ畑は子どもの遊び場の提供だと勘違いをしていた時代もあった。叔父の説明が納得いった訳ではない。しかしレンゲの花が枯れる頃になると「田起こし」が始まっていた。幼い頃の光景は田起こには馬が活躍していた。あっと言う間に水田となったことも思い出された。季節の移ろいを実感したものだった。
 ここの地域のレンゲ畑には、また違った思い出がある。
 我が家が30年前にはこの近くに住んでいたので、子育て中の「お散歩」の途中。ここでのレンゲ畑は格好の遊び場であったからである。おにぎりとお菓子を持参して子供達と食べた場所でもある。その子供達も長女が間もなく40歳を超えてしまいそうになった。それでも、この地にレンゲ畑が健在であるのが何だか嬉しい。
 走馬燈に浮かぶ光景を満喫しながら歩く「田園」風景は心のオアシスである。
 このレンゲ畑で遊んで育った3人のわが子達から「大きなプレゼント」が届いている。明日から夫婦で「沖縄旅行」をすることになった。沖縄は小生の亡父が戦死した島である。一度は慰霊塔を訪問してみたかったが今までにチャンスらしきものもなく今日に至ってしまった。今年は我々夫婦も結婚40周年らしい(笑)。そのお祝いに「沖縄のお父さん」に会いに行って来い、と言うではないか。戸惑いもありながら、子供達の心遣いを素直に受けることにしたのである。
 明日から3日間。このブログも暫し休刊します。
 「お土産ブログ」の発刊を是非ともお楽しみにしていて下さい。行ってまいりま~す。
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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