2010/04/04

新聞記事に同感!

  ~不安を煽るばかりの「世論」?~
 間もなくどこの学校にも「新入生」が入学して来る。
 そして、キラキラ輝く入学式。取り分け小学校の入学式は温度が違う。小生は高校~中学校~小学校の勤務経験者である。経験からハッキリ断言できるのは事実である。あの「華やかさ」はどこから来るのか?それは一口で表せば「期待感」ではないだろうか?つまり、「これからどこまで成長してくれるのか」という夢を託す始発駅だからではないかと考える。中学校や高校の入学式はまたその趣が変わって来ることは当然である。
 平成23年度から、その小学校の教育内容が大きく変わる、と言う。
 日本という国家には、「不安を煽る」ことで経済機構の活性化を目論む業界が寄生しているように思えて仕方がない。学校教育だけでは不安であるかのように煽る現象はいつ頃から始まったのだろうか。専門的な見解も、最近は見聞きすることが異常に思えて仕方がない。これも一種の煽りから来る「不安感」とすれば由々しき事態である。教育内容が「増える」ので教科書も「分厚くなって」、「先生方も大変だ」と論及して迫られれば保護者ならずとも不安になるのは仕方が無いのか。
 この新聞記事をお読みいただきたい。母親でもある記者が書かれたようである。
 全く仰るとおり!!教科書に振り回されているようでは教師の風上にも置けない。教科書、正式には「教科用図書」と言うそうだ。教科書は「主たる教材」と国が位置づけている。つまり、「教材として活用できる」最も身近にある超・便利品なのである。しかも「検定済み」とあれば安心して授業で扱うことも出来る。教科書に取り上げられた各種の材料を、様々な視点・観点から分析することは、指導者としての教員には必須条件である。それを「教材研究」と称する。教材研究こそが教師の使命である。
 立派な教科書が国から無償で提供されるのである。
 教員が教科書に振り回されているようでは保護者どころか足下の「児童・生徒」に信頼などされなくなるのは当然である。「先生が教科書です」と言い切れる教育を行って欲しいモノである。
 退職して、もう何年にもなるという老体が力んでもどうなることでもない(笑)。
 後輩諸兄に「期待しつつ」お願いしたいと発しているだけである。世論の「不安の煽り」に負けること無く、児童・生徒たちと共に力を合わせて新学期をスムーズに発進されることを祈るばかりである。

 昨日、この原稿を投じてから孫達の待つ茨城県土浦市へ向かう予定でしたが時間不足で出来ませんでした。新聞記事は4月2日のものです。遅くなりましたことお許し下さい。 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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