~墓地を探しに歩いた~
探し当てた墓標に「平成16年4月25日 享年60歳」という文字を確認した。
妻に取っては大切な近所の友人である。平成16年4月と言えば、妻は実父母の介護を本格開始した時である。茅ヶ崎に転居して数年後に引っ越してこられたこのご家族は双方の長男が同級生であったことも要因ではあっただろうが「馬の合う」母親仲間としてのお付き合いを始めたのだ、と妻が懐古する。まだ40才代になったばかりの頃から症状が発覚したようであるが、「意識すればするほど真っ直ぐに歩けないのよ」と当初は明るい表情で「その内に治る」かのような話し方だったらしい。いつの間にか進行して、寝たきりになってしまわれたようだ。ご主人の献身的な看病と介護の甲斐もなく59才の若さで他界してしまったのである。
その数年前から妻は両親の老化に伴い、遠隔地・九州に住む親の元にしばしば出向き始めていた。平成16年3月31日で小生も(定年退職1年前)に職を辞して、取り敢えず「転住」して両親の介護に当たることにしたばかりの時である。たまたま、小生はこの奥様のご葬儀には参列できた。勤務校の「歓送迎会」に出席するために九州から茅ヶ崎に戻ってきていたからである。もの凄い強雨のお通夜であったことを明確に記憶している。同席されたご近所の皆さんが涙ながらに「涙雨・悔し涙」と表現されたことも実感と共に記憶している。
昨日、雨の中を自治会の役員さんとして訪問された玄関先で、そんな萬話をしていると、妻が「お墓はどちらですか?」聞き出した。
聞いて驚いた。暇があれば「歩禅のコース」にしている、友人・大瀬敏昭氏のお墓と目と鼻の先にあることが判明した。妻も友人の墓には何回となく訪れているのですぐにわかったようだ。
そして、今日は晴天。
気温も高くなり「お散歩」にはもってこいの日和。妻の申し出を受け入れてお墓を探しに行くことにした。直ぐに見つかった。ホッとして額ずく妻の姿からは「親しかった友人」との再会が叶った安堵感が伝わってきた。本来なら「孫の話」でも出来る親しい友人だっただろうに、と隣で夫も瞼が熱くなってしまった。他界された後結婚した息子さんにもお孫さんが誕生していると言うではないか。人生の無情とはかなさを感じた。帰路の多くの時間を無言のままに二人は歩いて帰って来た。心からご冥福を祈るばかりである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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