~おめでとう、叙勲!~
任務
犯罪や非行に陥った者が保護観察を受けることになると、その期間中、保護観察所の保護観察官とともに、対象者と面接して生活状況を調査し、保護観察中に決められた約束事(遵守事項)を守るように指導をし、生活相談など社会復帰への手助けをする。また、刑務所や少年院などの矯正施設に入っている者について、釈放後の帰住先が更生のために適当かどうかを調査し、その環境を調整する。そのほか法務省の主催する「社会を明るくする運動」も中心になって運営し、地域における犯罪予防運動も行う。
不勉強と言うか、無関心と言えるのか。
新聞紙上に栄誉ある叙勲者氏名が掲載されることぐらいは認知している。しかし、こんな身近な人物が叙勲者となるとは「夢心地」である。故郷(=熊本県八代市)の3歳後輩がその栄誉ある叙勲者になったという知らせが届いた。恩師も共通であり、高校まで全く同一コースを歩んだ、謂わば舎弟である。東京の大学に上京した彼を、自営していた学習塾の指導者として招いた。それがきっかけかどうかは定かではないが、卒業後、郷里に帰って学習塾の経営者となった。頑張り屋さん!その一言は小生の中での彼の代名詞である。彼の兄と小生が同級生であるが、家族ぐるみのお付き合いでご両親にも小生は随分大切にしていただいた。
不勉強な先輩は改めて「保護司とは」と調べてみた。
概要だけは知っているつもりの不勉強者は恥じ入る羽目に陥ってしまった。後輩の叙勲を決定づけたのは、この保護司としての活動だったのだろうと考える。誰にでも出来ることではない。ホンモノのボランティア精神が無ければこの任務を長年に渡って遂行することは不可能であろう。頭が下がる。
今のところ、帰省の予定はないので直に会って「おめでとう」は言ってあげられないが、心から祝福していることは可愛い後輩ならわかってくれるだろう。奥様の内助の功も、御存命のお母様(お父様は既に他界)のお慶びは計り知れない。お母様の素敵な笑顔が浮かんでくる。親友の兄(同級生)も、そして彼の二人のご子息も誇りに思える弟や父親の存在感を噛み締めておられる事だろう。親孝行したね、とも言ってあげたい心境でもある
この栄誉ある機会を、更に踏み台にして社会への貢献を期待したい。
後輩の栄えある叙勲に励まされて「元気になった」凡庸な先輩がここにいる。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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