頂いたお菓子を食べたのは三日前のこと。
美味だったことは記憶の中枢に未だ残存している今朝のこと。数日経ても「後片付け」が済んでいないことに気づいたので「燃えるゴミ」として処分しようと菓子袋を手にした。無意識の中に袋に書き込んである文字が目に飛び込んできた。
「誰にも親切 父母を大切に」。
この世はには似合わなくなってしまった表現である。なぜならば、「要らぬ世話だ」と一笑に付されそうなフレーズに思えたからである。親に向かっても平気で反抗的な返事をぶつけてしまいそうな世相になってしまっているからである。しかし、小生は無碍に捨てる気になれず、お茶を入れてくれている妻に語りかけてみた。「え、気が付かなかった」と応えた。勿論、小生も全く気づいていなかった。その程度の存在感。
この文を掲載する製作者の意図はどこにあるのだろうか?こんな事を書き添えて売ったら嫌われるのではないか、と迷われることはなかったのだろうか。製作者や関係者の誰かが自身の「親」から学んだ「教え」の一つであると想定することは「当たらずとも遠からず」ではないだろうか。
先日の沖縄・亡父追悼旅行がまた浮かんできた。父母を大切にすることは、生死には関係ないと心したのは今朝だけではない。「誰にも親切」は学校でも学んだ。祖父母の教えの一つでもあった。
「捨てられずに存在し続けた」菓子袋から改めて考えさせられた朝である。
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