~いずれが「あやめ」か「かきつばた」?~
こんな古い言葉を思い出した。
お隣の庭に咲いた花(上・写真)を頂戴した妻は仏壇に捧げようとした。数秒拝借して一輪挿しにして写真に撮らせてもらった。妻に「これって何という花なんだ?」と聞いてみた。「アイリスじゃないの?」と応えた。この時期には毎年いただいている花である。
今日の歩禅は爽やかな初夏の風を求めて昼食後にしてみた。
陽ざしは珍しく初夏の感じはするのだが、木陰に入ると妙に風が冷たい。立ち寄り先を経由して久し振りの住宅街を抜けるコースを選んだ。素敵なお庭には初夏の佇まいが見え隠れする。茅ヶ崎では空に泳ぐ(?)ほどの鯉のぼりの姿は滅多に見ることが出来ない。5年ばかり前になるが、義父母の介護のために一旦故郷の九州に引き上げた頃を思い出しながら妻との会話が進んだ。話題の主は大空に伸び伸びとはためく「鯉のぼり」の姿だったが、歩禅の風景には映って来ないのでイマイチ盛り上がらす、実家の庭先に咲いていた草花の話題になってしまった(笑)。
妻の亡き父親は広い庭先から庭に面している土手までにも広がるほどの敷地に、ありとあらゆる草花と果実のなる樹木を所狭しと植えていたようだ。梅・桃・ビワ・いちじく・柿・さくらんぼ・ぶどう等々、歩きながら妻の口から飛び出す種類に驚くばかり。きっと妻の脳裏には幼い頃の光景がハッキリ浮かんで来たのかも知れない。
春は花爛漫。
春から初夏に掛けて、あちこちから「菖蒲祭り」の話題も届く。どちらが美しいか?きわどい差を「花で」表現した言葉を思い出しながら、「他人の庭に咲く」満開の花を愛でながら約1時間の歩禅は満足に終わった。
未だにはっきり区別できない。それは美の区別ではない。アイリスという花までご登場で「あやめ」と「かきつばた」を本当に識別できない小生に、今日は、更に困惑の拍車が掛かったのであります(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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