祖母の「寝物語」を聞いて育った少年時代の「思い」を、三人の子ども達(二人の娘・一人の息子)の家族の心遣いと妻の思い遣りで果たすことが出来ました。ここでは詳しいこの日までの「歴史」(笑)は語れませんので、掲載した写真の説明でご勘弁願います。
亡父の戦死の場所が「伊江島」(沖縄・海洋博の実施会場側近)だと聞いて育ちました。
海洋博の開催時期には現職で多忙さもあり「思い」を先送りにせざるを得ませんでした。パンフレットの「戦跡」をご覧下さい。「芳魂之塔」に記載されている「4月21日」が、遺族に知らされた「命日」と同日です。父の命日は昭和20年4月21日と墓石に刻印されています。聞いていたことと符合しました。
2枚目の写真は、遠くに浮かぶ「伊江島」の全景です。どんどん近づいてくる島の景色に、顔も知らない父親が「この島で死んだのか」と思えば思うほど熱い思いが込み上げてきて霞んで見えなくなる心境でした。3枚目の写真は、乗り合わせた若いカップルが写真を撮っていましたのでお願いしてシャッターを押してもらいました。
島に上陸して、念願の慰霊塔に到着しました。
ツアーの行程で「私的な我が儘」が許された幸運は何とも表現できません。伊江島という父の戦死地で父の名前を目にしたときには「涙」以外何も出てきませんでした。言葉を発することが出来ませんでした。妻が肩に手を当てて「良かったですね、念願が叶いましたね」と声を掛けてくれた瞬間の号泣は65年間の「父なし子」として育った寂しさを表現した極々自然体だったのでしょうか。この劇的な場面は、偶然ですが、このツアーに大分県から参加されたご夫妻との出会いで実現しました。感謝と言うより「父の力で引き合わせて」貰ったとしか言い様がございません。そのご夫婦と記念撮影もさせていただきました。この奥様のお父様が父と同じ兵隊の一員であったとのことでこのツアーに参加申し込みをされたとの事でした。地元ガイドさんのご好意(写真を撮っていただいた)も生涯忘れることは出来ませ。ツアー旅行でこのようなオプションが生み出せるなんて出発前には全く想定していません。現地での幸運との遭遇に「神懸かり」を禁じ得ませんでした。
最後の写真は平和祈念公園の「全国戦没者碑」の中にある父の氏名板です。この部分は以前に訪問された方々から何枚も写真を頂戴していました。しかし、自分の目で確かめることの興奮はまた格別でした。
そんな「素敵なツアー」から元気を頂戴しました。旅先から3人の我が子ども達にはメールでお礼を送信しました。しかし、大したことも出来ない愚父ですから「心深く」感謝していることは上手に伝えることは出来ませんでした。
「余生を大切に生きることで許して貰いましょう」、と勝手な結論を下した朝です。
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