~「4月29日」って・・・?~
猫の額には鉢植えが似合う。
妻が放置していた(笑)花々が、今年の異常気象のお陰で異常なまでに咲き始めた。自然の威力を感じる。一時期、所狭しと咲き誇ったフリージアの花軍団が去った我が家の庭先の光景である。
こんな表現をすれば「世の中を斜に構えて視ながらいじけている人生」(落人)と思われるか。いやはや、そんなことは御座らん。退職後も「わが人生は常に四季折々」と謳歌している凡庸ながらも闊達に生きている一人の爺であります。今朝もお元気ですよ(笑)。
花の名前は「君子蘭」と言うそうだ。
君子?耳慣れない言語ではあるが名称から判断するに「重そう」ではないか。高貴な花なのだろうか。そんな事はどうでも良い。
今日は4月29日。と来れば「天皇誕生日」と暗記型学習の成果で、同年時代を生きた当時の少年達は誰でも答えることが出来たはずである。その事の良し悪しを論じているのではない。民主政治とやらは天変地変を起こしながら今日まで辿り着いている。その間に「祝祭日法案」(確かな記憶ではないので悪しからず)とやらで祝祭日の名称が変更されているようだ。
昨日の「夕暮れ歩禅」ですれ違った中学生集団。
部活動の疲れもあるのか「腹減った~」の連呼。しかし、小耳に挟んだ会話の一部があったのでご紹介しよう。「明日って、何で休みだっけ?」「昭和の日だよな」「そうだっけ」「休みは休みだからどうでも良いけど・・」と、他愛のない会話を続けながら我が家に向かって急いでいた。何気なく耳にした「明日は何の日?」を今朝、考えながら改称された祭日名は「昭和の日」だと己に言い聞かせる。「みどりの日」って、いつからいつまで?自問するが自答はない。
時代の流れは正直である。
新聞記事コラムは尊敬する工務店経営者の執筆になる内容である。「道徳教育」という表現の問題は余り論じたくない。しかし、氏が述べておられる真髄は全く同感である。別の遠回し表現をさせていただくなら「生き方」の掘り下げを学校でも、家庭でも、社会でも、もっと真剣になされなければなるまい。生き方の源泉は「命の大切さ」を知ることであることを国民的意識として再認識することは急務である。
こんな「おも~い」話題を朝から言うな!とお叱りを受けるかも知れないが、読者によっては時間は関係あるまい。世の中は「大型連休」と騒ぐ。観光客の招致合戦が「町の活性化」とばかりに、ゆかりの人物を大空に掲げて懸命である。混雑を嫌った「父親時代」の小生は、わが子達をどこにも連れて行ったことがない。恨んでいるだろうなぁ!その孫達が明日から二弾に分かれて襲来して来るという。せめてもの「罪滅ぼし」に御輿をあげますか~!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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