2010/05/31

新・歩禅記(31)



 ~人生いろいろ、根菜の花も色々~
 そんなに寒さも感じない今日の早朝歩禅。
「今日で5月も終わりだね」と妻に声を掛ける。季節の移ろいの異常さに辟易とするような応えが戻ってきた。「昨日より5度も今日は気温が上がるみたいよ」と、気温の落差が大きいことに言及した。続けて「今年の夏はどうなるのかしら」と問いかけてきた。今朝5時の長期天気予報では東北での冷夏が話題に上がっていた。つまり、日本列島の温度も酷暑にはならない模様だと伝える。
 歩禅コースには畑が多い。にんじんの花の背丈が異常に高くなっている畑があった。根菜の花は観賞用には似合わない。にんじんの花って、やっぱりキレイではない。幼い頃、「大根の花」の白さがキレイだったので切り花にして祖母に渡した。笑いながら受け取った。そして、「出来損ないは頭に血が上っている、ってことだよ」と反応してくれた。意味が全くわからないまま還暦もとっくに過ぎた。にんじんの花も根菜。「根で生きる価値」を持っているものが花で目立っては売り物にならない。根菜類には血液などない。しかし、祖母の例え話が、今朝は妙に心に染みる。
 興奮して血液が逆流しているような状態では正常な判断など出来ますまい。わが国の政治も混迷している。頭に血が上って判断が鈍っている?ニュアンスは少々違うだろうが、50数年前に他界した祖母が小学5年生の少年に例示した「大根の花」の話に似ているような気がして苦笑してしまった。
 Q:読者の皆さん、どちらが「大根」?「にんじん」?の花でしょうか。(写真は借り物です。今日はカメラを忘れました!)

2010/05/30

新・歩禅記(30)


 ~どうしてこんなに寒いの? ~
 スカーフを首に巻いて歩いている妻がポツリ。今朝はタオル地に替えて首に巻いた夫は同感とばかりに無言の対応。体感温度?15度位なのかなぁ~、と口を開きたくない夫は独りで考えた。今朝は散歩人も殆どいない。日曜日の朝は比較的多くの人が散歩をエンジョイしているのだが今朝は多くの雨戸は閉まったまま。しかし、15分も歩くと上唇と下唇の連動が始まる。つまり「お喋り」が解禁されるのである。
 今朝の話題は新聞の記事。
我が家は今の新聞に替えるまでは「夕刊のない」S新聞を購読していた。主が「夕刊は意味無い」と頑なであったからである。主婦の「生きる力」には時々驚くことがある。新聞勧誘の口車に乗って(笑)予約すると「袖の下」があるのだそうだ。そんなことには全く無縁だと思っていたわが妻も「賢い主婦」の片鱗を現した。洗剤や色々の「贈呈品」との引き替えにS新聞から大手のM新聞にいつの間にか替わっていた。当然ながら夕刊も配達されている。殆ど無関心だった主も、どんどん積まれていく「夕刊の山」に優良だから勿体ないとばかりに放置する程の勇気も無いらしい。ちびりちびと読み始めていると興味津々の部分と遭遇する。その反応が話題に上ると賢い主婦を演じる妻には堪えられないらしく、少しだけ雄弁になる。今朝の対話はその現実の証明でもあった。
 すっかり話題が尽きる頃には帰宅。気温が低いのが足の方向まで変えて、5000歩の歩禅を終えて帰宅するやいなや「熱いコーヒー」に舌鼓を打つ老夫婦である。
 写真・上 寒さに震えている道端の花 写真・下 話題の夕刊記事(上空から見たくなりますね)

2010/05/29

新・歩禅記(29)



 ~寒い「夏の朝」~
 早朝歩禅の2日目。玄関先に出た妻が「さむ~い!」と小声で叫んだ。
 出掛けのラジオ情報からは東京地方の予報の16度である。歩き出してもやっぱり風が冷たく感じる。夏の歩禅の出で立ち姿には「首筋に一本の手拭い」が掛かっている。今朝も同様であるが使用目的が少々違う。夏の手拭いは「汗拭き」のためであるが今朝は防寒用となった。
 今日は千葉に住む孫娘の運動会。茅ヶ崎は小雨と曇模様らしいが、千葉方面は夕方に降雨が予報されていた。歩きながら、爺と婆の会話は「運動会は大丈夫らしい」で一致していた。全国の小中学校でも今日は運動会が多く開催予定のようである。学校行事は天気勝負だ、と豪語した先輩校長を思い出した。雨に降られずに完全実施が出来るように祈りながら歩いた。
 近くの団地の中を歩くコース。
 高齢者住宅(?)に様変わりしつつある公団住宅の証は、狭い隙間にも丹精して育ててある草花がキレイに四季を伝えていることである。こんな早朝から「花壇らしき土地」の草取りをしておられる老女と朝の会話を交わして写真を撮らせてもらった。「独り暮らし」の寂しさからだろうか雄弁である。尋ねもしない近況を話していただいた。お礼を述べて帰りながら、妻との会話は子育て時代の学校の話になった。プレハブ校舎で運動場会も心配するぐらいの児童数で市内一の大規模を誇った(笑)この団地内の小学校が、今や校舎が空き教室だらけの市内一、二の小規模校に変わっているとのこと。「団地」という住宅状況の変化に歴史を感じた。あの頃小学校に通った子供達はもう、この団地には殆ど住んでいない。老女の草むしり姿を思い出しながら帰ってきた。

2010/05/28

新・歩禅記(28)





  ~快適な早朝歩禅~
 本当に久し振りの「早朝歩禅」。
 6時に出発した。早朝歩禅に踏み切ったきっかけは朝のラジオの声だった。空気が澄んでいて西の空には富士山がとてもキレイです、との情報。投函する郵便物があったので郵便局を経由して小出川の堤防に向かう。途中で家並みの間から見える大山の姿に雲がかかっている。不安は的中して、すっかり厚い雲に隠されて霊峰の姿は無かった。
 急遽の方向転換。浜之郷小学校を左に見て右方向へ向かう。大きな総合病院の脇を抜けて帰宅のコースを選定。病院に隣接する畑に季節の花が綺麗に咲いていた。妻が言う「ここには毎年この花が咲いていますよね」と。全く気づいていない夫は悟られないように「そ、そうだったね」とサラリ(笑)。 帰路に面して農家が栽培して売っている「無人・お花屋さん」がある。妻は仏壇用の花を買う。コースを変更して正解だった!と自らに言い聞かせて45分間の歩禅を終えた。ほんのりと汗ばんでいる背中に夏の到来を感じる朝である。

2010/05/27

白衣のエースがノーヒットノーラン




 ~立派な「歯科医」に!~

  学校教育に携わることだけで人生の大半を過ごした小生です。失敗はあっても成功と名の付くモノは殆どありませんでした。その教育界を辞して早や6年間も過ぎています。「教員としてのご褒美」には無縁の余生を過ごしています。
 そんな元・教員に今日の新聞から「金メダル」を頂戴しました。
 高校・中学校の教員として「部活動」を担当しました。ソフトボール部と野球部でした。運動がどんなに上手でも「人間として」立派でない限り社会では生き抜いていけない、と耳にタコができるほど部員に説き過ぎるほど説きました。 取り分け同性である「野球部員」には、その檄はきついモノだったそうです。「中学生にそこまで要求するか」と言われる程まで「部員としての生き方」に言及したようです。学生の本分を忘れて「野球だけ出来る部員」だけは育てたくなかったのです。小生は「高校野球特待生」の表現を極端に嫌いました。学問が「野球選手」の外にあることに納得しなかったからです。生意気にも当時の「部訓」なるものが存在しています。(写真・下)制作年度をご確認下さい。この時代に育った選手たちは今年は45歳前後です。
 今日の新聞記事(写真・上)には、当時の頑固な教えをスンナリと実践していてくれる若者が載っていました。哀しいばかりの新聞記事に悔し涙を落としてしまった爺も、この記事で「金メダル」を掛けていただいたような有頂天になってしまいました(金メダルとは無縁ですが)。
 この選手こそが、数十年前に描いていた「育てたい部員」なのです。立派に成長して周囲に大事にされることを熟知した憎いほどの「活躍ぶり」に嬉しい思いが全身を駆け巡ってしまいました。自分のことのように嬉しくなる記事です。
 こんな嬉しい記事を提供してくれた「歯医者さんの卵」とそれを取材した記者の方に「元気をありがとう」と申し上げたい。そして、立派な歯科医と素晴らしい新聞記者になられることを期待していることをこのページを借りて申し添えておきましょう。  

2010/05/26

やっぱり、そうなんだ!!


  ~「昭和」は遠くなった?~
 小生と同世代人には、『明治は遠くなりにけり』が記憶に新しい(笑)のではないだろうか。
 昨夜のTV娯楽番組。何気なく面白そうだったのでついつい(珍しく)画面に見入ったのは、司会者が発したタイトル“遊びで分かる世代間ギャップ”であった。3つの世代の構成が面白かった。団塊は小生、バブルはわが子達と区別できたがIT世代は更に若い世代なので見当も付かず興味もあった。
 団塊世代の体験談に対するIT世代の反応が全く想定外だった。反応を見れば見るほど、う~ん、やっぱり昭和の時代はもう大昔になっているような実感である。そう言えば、学校教育現場で「昔遊び」という地域教育力の賛助を得て授業を展開している。事実、小生時代の遊びが、今では「昔」という一文字が頭に付いて子供達が学んでいるではないか。竹馬を知らないIT世代の「驚き方」が新鮮に映ったのも、我ながら衝撃だった。
 “唄う歌”でも、世代は大きく変わるはずだ。
 偶然にも、注文していた「昭和の流行歌」というCDが届いたのも昨日のこと。昭和19年生まれの小生には「懐かしい」流行歌がぎっしり詰まっている。新幹線の長い旅ではウォークマンに録音して聴くことにしよう。いつの時代に生きても、その世相を思い出す「遊び」「歌」「流行語」「映画」などがあるモノだ。懐古は加齢の証?素直に認めざるを得ませんね。
 今日は、「昭和の流行歌」を聴きながらノスタルジーに浸れる長閑な一日でありました。

2010/05/25

何だか気になる日本語の表現

  ~お相手は「一般(人)」女性~
 今日は新聞を読んでの爺のぼやき?
 自身もこんなことぐらいでイヤな気分になるのも悔しい。、と、思いつつも何だか溜飲が下がらない。何とはなしに新聞の活字を追っていると、時々芸能人やスポーツ選手の結婚のニュースが目に入ってくる。今日は男性人気漫才師の結婚相手が「一般女性」と表現されていた。この漫才師を責める気持ちは毛頭無い。どうぞ、誤解無きようお願いします。
 「一般」という言葉の反意語は?
 受験勉強していると機械的に「特殊」と解答することが出来る。芸能界やスポーツ界で活躍する人たちは特殊な才能があることぐらいは認識している。更に「特殊才能+努力」の結果として立派な成果を発揮して、我々「一般人」に感動を与えてくれていることも十分承知をしている。だからと言って、「特殊」な世界にいる人のお相手を「一般」と総称して良いモノだろうか。やっぱり解せない。小生の考えは簡単である。「一般」と言う括りを使用しなければ良い、ってこと!
 話題を妻に振る。そして、語りかける、「これって変だよな~」と。「そう?」と興味なさそうで応えも素っ気ない。やっぱり、小生は加齢症候群からくる「頑固爺」症状が出てきたんだろうか(苦笑)。同じ新聞の投書欄には皮肉にも「頑固爺さん」の存在への意見が掲載されていた。
 何と幸せな爺なんでしょうかね。
 こんなことを考えていて良い社会情勢なのか!とばかりに我が身に鞭を打とうとするが加齢なる腕((笑))には、もう振り揚げるパワーも無いのであります。
 

2010/05/24

熱い視線の中で180分間

  ~好きで引き受けた「時間」~
 とは、言いながらも暫く忘れてしまっていた真剣な眼差しとの勝負。
 中学校教員時代の高校受験前の中3生徒達のあの熱い視線。いや、あの日々には担任と生徒という「関わり」が、まだ心を和ませてくれていた。今は、まったく違う。有料の講師と合格だけを目指している受講生との他人の関係しか無い。当然のことだろうが「納得できる指導」への大きな期待だけで時間を共有しているのである。真剣さと熱意だけが試されている時間である。
 昨日は第三回目の講義日であった。教員採用試験の受験者と過ごした180分間は拷問にも似た試練の時間であった。受験指導をした教員時代には高校受験と大学受験に関わった。共に情熱を傾けたことは今でも自負している。決していい加減に接したことなど無い。学級担任として、教科担当者として口角泡を飛ばす熱気で授業も展開した。
 しかし、昨日の現実は異質であることは間違いない。
 「生きる力」とは?論文作成に取り組む「教員の卵たち」諸君が走らせる鉛筆の音だけが響き渡る講習室を巡回する。高校受験や大学受験とは趣が違う。違って当然、と言えば二の口が告げない。「生きる」ためのプロセスを見せつけられている。講師からの質問にも沈黙はない。疑問に思ったり不安だったりしている事項も、先を競っての質問が飛んでくる。教員時代には味わうことのない体感である。
 1つの講座が90分間。昨日は2講座連続の担当であったので10分間の休憩を取っただけの、ほぼ180分間連続の講義となった。疲れたはずなのに疲労感はゼロ。
 帰路は、JR桜木町駅から横浜駅乗り換えで茅ヶ崎駅までの約40分間の車中。身体の火照りが消えていない老体に気が付いた。何となく「嬉しさ」を実感する我にも気づいたのである。真剣に挑む「教員の卵たち」に、ホンの少しでも役立つ時間を過ごしたい。「無い袖は振れぬ」と知りつつも背伸びをしている老輩が我ながら愛おしい。
 今日は終日の雨。のんびりと休養が出来た。市川伸一教授の著書「学ぶ意欲の心理学」を読破した。面白い観点に思わず「合点」の雄叫びをあげてしまうほど元気な爺さんである(笑)。
 

2010/05/23

「異変」続きに自然界も便乗?

  ~3日間のご無沙汰~
 しかし、異常事態が次から次へと起きますね。
 異常事態に振り回されてブログをサボった(笑)訳ではございません。数通のメールを読みながらご心配をお掛けしていることにお詫びをさせていただきます。全くの私的な用務が重なりまして時間がゆっくり取れませんでした。雑用に追いまくられていた、と申し上げておきましょう。
 宮崎県に端を発した口蹄疫とやらの事態。子供達に人気の「動物園」まで入園拒否に追い込まれたとの情報。昨年は新型インフルエンザとやらで天と地がひっくり返らんばかりの大騒動。マスク集団の大移動を異様な光景として今でも姫路駅構内が焼き付いていますよ。「お客様はマスクをお持ちでは無いのですか?」と駅員さんに優しく声を掛けられたのは生涯忘れません。見回せばホームにいる人で小生だけがマスクを装着していなかったのです。驚きましたよ!!そのこと自体に。児童生徒が楽しみにしている修学旅行が中止になったそうですね。
 異常事態と言われる状況が、次から次へと頻繁に起きてくると!!!
 異常は正常になるのでしょうか。政局も「異常の繰り返し」を10年以上も継続(笑)されれば、「異常と感じていた民意」も、麻痺した感覚で「通常」になってしまうのでしょうか。恐ろしいことですね。日本だけの問題でもない、となれば地球全体の、いわゆるグローバルプロブレムとして注視します。何(どこの?誰の?どんな組織のリーダーシップで正常化されるのでしょうね。ホントにどうなってんの?と自問自答している雨の朝です。
 故郷の九州では集中豪雨だそうだ。心配しつつ、午後からの横浜出講の準備に取り掛かります。
 
 

2010/05/19

ほぼ完成した「講義資料」

  ~専門教科の指導法~
 どちらかと言うと、「行き当たりばったり」方式。
 こう表現したことを妻が知ったら苦笑いしながら「したり顔」になるだろう。行き当たりばったりは、何を隠そう、小生の人生そのものだからである。40年間も「苦楽を伴にした」夫婦であるならば相互の特徴(当然ながら特長も)を知り尽くしているからである。
 実は、専門教科の指導法をメインにして講義をすることになっている。来月大きなセミナー(愛知県小牧市)への出講することになっている。今回は二度目の挑戦(笑)である。講師陣の質の高さを想えば辞退しても不思議ではない。敢えてお請けしたのであるから何か「取らぬ狸の皮算用」があるのかも知れない?いいえ、何もございません。前回の罪滅ぼしのために(勇気を奮っての)老いの危険な挑戦なのである。主催者の意図とは相当なズレになっているかも知れない。
 ところが「行き当たりばったり」の授業しかやって来なかった元・教師とすれば、格調高い本セミナー(「教師力アップセミナー」という)で、背伸びをしながら見栄を張って「講義する」にはそれ相応の準備というモノが必要となることぐらいは分かり切っていることである。ところが、ついに今日まで、その材料を整理することすらせずに、新規事業とやらへの参画等へと話題をそらして来てしまった。
 外は朝からの雨模様。
 歩禅も何もできない。そう思った瞬間、「これから創るぞ~!!」と自らに檄を入れたのである。「思い立った」と言うことである。午前8時過ぎから資料を集め始めた。6畳間の狭い書斎は「資料候補の山」と化した。お茶を運んでくれる妻の足の踏み場もないほどに散乱状態。続いて、パソコンに保存している「資料館」というフォルダーからのプリントアウトに移ったのが正午頃。昼食を済ませる。能天気な爺は、散らかったままでも午睡は可能である。いつもより心持ち少なめにして午後の作業に移行する。
 講演(講義)は教員の視野から判断すれば授業である。
 120分の講義時間に「使える」資料づくりは授業の「いのち」である。数年間の未整理資料にも陽の目が届いた。そんな資料をA4縦版にまとめてみた。17ページに渡る資料集となってしまった。
 ほぼ完了(並べただけ?)と考えるところが「行き当たりばったり」式人生哲学者の哲学たる所以か。
 それでも時々は真面目に考える。専門教科に絞っての講義は焦点ボケが出来ない。聴講者は「そのツボ」を聴きに参加費を出すのである。「無駄金を、また払わせてしまったらどうしようか」。珍しく小心な心になってしまう夕暮れだ。しかし、(多分)、明朝にはこの気分が降る雨に流されて「何とかなる~」と変心するから始末悪い。ともあれ、小生にしては久し振りの大作が出来つつある。当日の奮闘を・・・乞うご期待!!

2010/05/18

2ラウンド目の歯科医通い

  ~虫歯のない爺さんでも。。。~
 先週からまた歯医者さん通いが始まりました。
 小生にはまだ1本の虫歯もありません。以前にあって治療した??いいえ、生まれてこの方、歯の治療とは無縁の人生を過ごして来ました。還暦でも迎えたら(定年退職)、時間もあるだろうから、先ずは歯石を取りにでも通院するか、と軽い気持ちで予定をしていました。ところが、ご存じの通りの想定外の人生が展開しました。一段落したらもう還暦から4年の歳月が流れていました。時間もあるので、直ぐ近所に妻が通っている歯科医に予約をしました。
 初体験?そうです!あの噂に聞いた金属音の襲撃を受けながら逃げ腰の椅子の上の人でした。半年の時間を掛けて歯石の除去が完了しました。そしてそれから1年が経って、問診の葉書が届きました。「歯の掃除」に、と再通院を始めたのです。今日は3回目。歯周病の検査のために歯茎のチェックがありました。検査を終えた歯科技工士から褒められました。「殆ど大丈夫です。きちんとお掃除も出来ていて立派な歯が揃っています」、とのこと。歯槽膿漏の危惧もないとのことでした。しかし、歯の掃除はもう少し続けましょう、との今日の結論。
 不思議なモノですね。プロの言葉には重みを感じました。今日もそんな平凡な一日でありました。

2010/05/17

大きなスケジュールが無くても・・・。




 ~あっと言う間に夕暮れが・・・~
 そんな日がありますよね。
 昨日は横浜会場で教員採用試験受験者対象の講座に出向きました。第2回目の昨日からは本格的な演習の時間を特設しました。小生の担当する講義は「論作文」という領域です。主催教委の設定に従って与えられた主題を制限時間の中で制限字数内で自己の考えをまとめなければなりません。かなりの緊張感と闘いながら文章を完成することは難しいことです。従って「訓練する」ことは必要なのかも知れません。
 受講者には講師としても忠告をします。
 「論作文だけ」を焦点化して考えているようでは、未来の先生業には不安な信号が点灯します。作文する材料は、日常の「生き方」からしか準備が出来ません。立派な先生になって貰いたいので指導はしますが、決して受け身で受講してはいけません。・・・・・・」と。
 受験参考書に首ったけの受験者に成り下がらないように、会場の往復でも「読書する」ことを奨めることにしました。その予備教材として5~7分ぐらいの短編資料を音読することにしたのです。
 写真版資料は今月号として届いた月刊誌から資料として選びました。このブログに目を通している受講者のために「(読んでもらって)聞いただけ」の雑誌記事を、パソコンで資料化してみました。プリントアウトして、改めて読み直すことが出来るように、との親心(笑)です。
 第1回目の「読み物資料」も偶然ですが、同一雑誌であることに気が付きました。どんな些細な読み物でも「教育」という領域に置き換えることが出来ます。つまり、論作文の材料として多角的に活用できるようにとの思い遣りです。
 資料作成の合間を縫って、本部から届く「論作文・添削指導」に赤ペンを走らせました。大きな事業もない今日だったのですが、こんな感じであっと言う間の夕暮れです。今週は比較的楽な日程です。大好きな読書が出来そうです。今、凝っているのは金哲彦氏。「走る意味」を読みながら心が痛んだり感涙を流したりしています。これから楽しみの大相撲はテレビで観戦です。


2010/05/16

半年ぶりの「浜松」訪問


  ~教育には「官」も「民」もない~
 教職を定年退職した老体が、ご縁をいただいて日本公文教育研究会の顧問として仕事をしている。 校長職時代にも、市教委の管理職の日々にあった時も同じ考えを持ち続けている。それは「教育する」という稼業において「無くてはならない存在」が「教育される」子供達である、という簡単な事。そして、そこに集う大人集団には大きな教育理念が共通している筈である。それは「心身共に健やかな成長」を誘う基本理念である。つまり、教育とは「人を育てる」という大命題の下で、それぞれのポジションから力を発揮すれば良い、という単純な態勢ではないだろうか。とすれば、大人集団が妙なバリアを作ったり、外部との接触を狭い了見で阻害してしまったら、甚大な損害を被るのは子供達ではないか。いかがだろうか?この注視点を確認し合って理解さえすれば簡単に教育は前進することである。しかし、現実の問題としては何ら進展した証拠は未だに見当たらない。
 公立学校の教員と民間教育産業(日本公文教育研究会)の指導者とが一堂に会する。そして、同一テーブルで「子供達の健やかな成長のため」の話し合いを持つことはそんなに難しいモノなのか。双方の草鞋を履いている小生にしか出来ない「機会・場所」作りだろうと考えていた。
 やっと実現。写真下はその会場の雰囲気である。
 進行役の局員が「話し合いを終わりにしてください」との指示が通らないほどの熱気。全てのスケジュールが終わっても起ち上がらないで話し込んでいるテーブルもある。移動して昼食会場に行っても話題は尽きることもなく続く。
 子供達のことが話題に上ると指導的立場の人種には「官も民もない」という小生の理念が実に見事に実証された。嬉しい始発点であることを実感できた。全国展開が夢である。
 半年ぶりの浜松市の訪問。
 駅前の開発?が急転していて雰囲気が随分変わっていた。少々面食らってしまった。日々一刻一刻と確実に時は流れていることを感じながら駅前に佇んだ。この浜松市で主宰する『響の会』が起ち上がってから早10年の歳月が流れている。年間3回実施の浜松『響の会』ではあるが、実績は大きい。帰路の新幹線の車中でも10年前を懐古してしまった。「浜松までは遠いなぁ~」の感覚は今では全くない。そんな親近感も実績が裏付けてくれているようだ。続けることの偉大さ、に満足感が伴い充実した終日であった。写真・上は、恒例の懇親会後の記念撮影。デジカメの画面を見ながら「感無量」の老脳には涙腺が緩む指示があったようだ。過ぎ去る夜の景色に隠れて感謝の涙を拭いた。日本公文教育研究会・浜松事務局関係者および浜松『響の会』メンバーに心から感謝の意をお伝えしたい。
【追記】次回は11月6日です。公立学校の先生達の自主研究会を公文・事務局の講習会場を無料で使用させていただける幸せも『響の会』会員は心から感謝していることでしょう。

2010/05/14

教員に戻った気分?

  ~論文の添削指導~
 本部から送付される論文用紙。
 教員採用試験では、「論作文」と言うのだそうです。大昔の受験者には耳慣れない用語ではありますが、毎日のように目を通していると「論文+作文=論作文」の等式が妙に納得いくようになっているのが不思議です。卒業論文を書き終えたばかりの受験生には「論文」の延長線上にあるのでしょうかね。教員の経験が無い受験者に「教育課題に対して論じる」ことは残酷なことです。論点が不定のために論旨が理解できない「作文」に出会う度に益々、ある確信を得るようになってきました。
 それは、作文の基礎学力が乏しいと思うことなのです。
 全国の(とは大袈裟です!)小学校の授業研究にお招きを受けます。教科が指定されていようが、いまいが「指導助言者」としての立場から『国語の授業』に視線が行ってしまいます。手元に届いた指導案を事前に目を通しながら思わず呟きが飛び出します。指導案の体はなっていても中身の文章表現が緩いので「指導する」意思が伝わってこないからなのです。何をどうしたいのか?どんな風に展開させながら指導したいのか?・・・と。
 それ以前に気になるのが、子供達の作文力です。義務教育の期間内で「できる」作文力だけは付けさせておかないと「大人になって困る」ことになります。現実に苦しんでいる「若者世代」と、作業過程で出会ってみると同情心すら湧き起こってくるのです。
 すっかり気分は教員時代。
 いつも真剣に生きているはずの夫。ここ10数年見かけなかった夫の後ろ姿を見ながら妻が「生き生きしていますよ」と言うではないですか。思わず苦笑いで誤魔化したモノの「昔取った杵柄」の触感は、やっぱり身体の隅々が覚えているようであります。
 今日の分を添削し終えて郵送しながら今日は県外に出講です。明日は現職の教員諸兄の研究会です。第一部示範授業、第二部研究協議の構成になっています。授業も張り切りますが研究協議会でも
現実の体験談を「偉そうに」(笑)吹聴して来ますか!!
 
 

2010/05/12

『夢を与えられる』仕事

  ~早過ぎないかい?~
 私事ではあるが、就職に失敗して、大きく進路変更をした年(1967)。
 恩人のお力添えをいただいて小田原市内の私立高校で硬式野球の監督をお引き受けして「新しい人生」の門出をした年(1968)。この時代に、神奈川県の高校野球界では注目の球児だったのが島野修氏であった。ドラフト1位指名当時のスポーツ紙には喜色満面の故人の顔が大きく掲載されていた。新米指導者にしてみると「憧れと夢」を与えてくれた人物の一人であった。彼を慕って、茅ヶ崎市内の中学校からも優秀な選手が、敢えて同じ高校へ入学した。その選手も高校卒業後、早稲田大学に進学し一流プレーヤーとして脚光を浴び始めた時点、試合中のアクシデントで呆気なくこの世を去ってしまった。彼も地元球児の憧れのスターだった。
 その後、新聞記事に我が目を疑ったのは、島野氏の転身を知った時が初めてだった。
 スター選手からの陥落?そんなマスコミ的な表現は決して出来ない。人生の無情さと機微を痛感したモノだった。そして、この記事。多感な青年時代、「甲子園出場を目指していた」若輩監督の小生は大きな夢をもらった選手である。力量のない小生は、直ぐに世の荒波に呑まれてしまって高校野球界からは身を引いたが、忘れられない青春のスターであったことは事実である。
 昨日この記事を読んで事実を知った。空しさと哀しさで潰されそうになった。早過ぎないかい?と声を掛けたくなってしまった。ともあれご冥福を心から祈るばかりである、
 内容も質も大きく違うだろうが、我が歩んできた教師「人生」も大小はあれども『夢を与えられる』職業であると確信している。しかし、今となればその現職からかなり遠ざかった年齢になってしまった(笑)。少年時代に掲げる大きな夢が、更に膨らむような指導ができる教員であって欲しいと、後輩諸兄に願うばかりである。

2010/05/11

「小学校英語」に悪戦苦闘


  ~「意」は通じる?~
 週末に浜松市で「恒例の公開・英語授業」をすることになっている。
 浜松市は、主宰する教育実践『響の会』の拠点地区でもあり10年もの長きに渡って通い詰めている。官民協働を唱う意識をいち早く受け止めていただいた地域でもある。「小学校英語」が来年度から本格実施になっている。参会者には「手土産になる講座を」と真剣に考えた結果、小生が授業公開をすることにして既に2年間が過ぎている。文科省の提唱とは少々ずれる部分があっても「現場感覚」を優先させながら公開授業を今回も継続して公開することになっている。
 小学校での「英語教育」が、いよいよ、来年度からは本格実施になる。
 週末の公開授業の「教材」を選定しながら今日は孤軍奮闘であった。今日中には、浜松『響の会』事務局関係者には資料として送信することになっている。先方には印刷する雑務も、本務以外に課されている。読み物教材をメインの資料(写真下段)にして授業のデザインをした。
 そこに届いた「一枚の葉書」。(写真上段)
 送り主は直接の教え子ではない。このように表現すると冷たい関係に取られそう?
送り主が誕生したばかりの時、この子のお姉さんは中学3年生。担任が小生でした。家庭訪問した時の新生児。お母さんに抱っこされていた赤ん坊がこの葉書の送り主。勿論、担任したお姉さんとは卒業後も、折に触れて交信は絶えていない。すっかり成長した赤ん坊も、小生が茅ヶ崎市教育委員会勤務の頃に、ある中学校で再会した。名乗って貰ってわかった。海外青年協力隊で活躍中との報告だった。その後、英語の教師となり(お姉さんからの報告)ご縁が九州・鹿児島県にあったようだ。学校勤務の様子も几帳面に報告を受けていた。本人からも幾度となく葉書が届いている。
 指導主事を拝命したという情報をこの葉書で知った。「時の流れ」を感じる。葉書の主の記憶に残らないような時期(幼児)に実母が他界されている。担任した長姉の心的苦労も理解している。立派に成長している末弟の晴れ姿を、お姉さんとしては母親に知らせたいだろう。そんな熱い思いも交錯する一枚の葉書である。直筆の「小学校英語指導に悪戦苦闘しております」という現職指導主事さんの本音が、とても爽やかに心に染みる「元・指導主事」の心の夕暮れです。
 


2010/05/09

紅葉坂からランドマークタワーを見ながら

  ~「教員の卵」達との出会い~
 昨日(8日)始まりました。
 この業務の内容は現職時代から「とても気になる」存在感がありました。毎年度、フレッシュな教員集団と出会いながら感じることが多かったのです。自身の初任者時代との比較から始まるのは人情でしょう。決して悪い始発では無いとは思いますが、その間を流れている「時間的空間」の環境条件に大きな差異があるので的確な比較が出来ないことは当然のことです。
 教員採用試験受験者を対象とする本「講座」を請け負うことにしました。
 やってみたかった!そんな思いでこの開講日を待っていました。その分だけ(?)勝手に力んでしまう自分を抑えることも出来ず受講者にとっては初日から拷問を受けた感じになったことでしょう。経営本部の段取りに従って、受講者の自己紹介が設定されていました。
 大学新卒の受講者はゼロ。
 多くの受講者が、実社会の経験者です。当然ながら現職の臨時的任用教員も大勢います。正真正銘の初々しさが無い半面、「経験値」から自己紹介をするレベルの違いを実感しながら聴いていました。後日の話材にするために、デジカメで動画を撮りました。数名の遅刻者は自己紹介が割愛されましたがほぼ全員の「自己紹介の場面」を記録することが出来ました。
 東京で開講されている首都圏講座会場担当のベテラン講師陣(全員が元・校長)のお助けをいただきながら、初日のスケジュールを終えることが出来ました。経験者講師のメッセージには思わず聴き入ってしまいました。皆さんの思いが、「出来るだけ良い人材を学校現場に送り込んであげたい」という情熱になって受講者に向かっての熱い口調になって会場に熱気を運んでいただきました。
 良い勉強が出来るぞ!!と小躍りしながら写真の紅葉坂を転がるように(笑)降りて、JR桜木町駅まで辿り着きました。
 90分間の講義。真剣に聴き入る受講者。指示に従って書き始める。走らせるペンの音が会場内の雰囲気を変えてしまうほどの「風音」。脳裏を駆け巡る「責任重大」という文字。横浜から30分間の東海道線車中は居眠りすることさえ勿体ないほどでした。受講者の一人でも多くが、目標の「教職」に就いて欲しいと祈るばかりです。

「母の存在」を考える日

  ~今年もやって来ました~
 小生の母はもうこの世にはいない。
 生きていた日々にも「母の日」に特別の待遇をしたことも少なかった。母親の存在感は大きかったはずなのにセレモニーらしきモノをしたのは小学生の頃「おかあさんありがとう」と言う作文を書かされて(笑)持って帰って手渡したぐらいだろうか?文字の読めない母親は厄介だった。自分の書いた空々しい作文を本人の前で読まなくてはならなかったからである。どんな気持ちで当時の母親は聴き取ったのかも記憶にない。これって親不孝?
 妻に届いた「母の日」の花は今年はブーゲンビリア。いつもとは違う。
 これは沖縄にゆかりのある花なのかな?4月に妻と二人で沖縄まで旅行した。小生の実父が戦死した場所を訪れる旅であった。3人のわが子達から結婚40周年の我々夫婦への贈り物だった。その沖縄で見事に咲いていたのがこのブーゲンビリアである。感涙にむせんだ沖縄の海と花を思い出してしまった。心遣いに妻も感動しているようだ。
 また、今年も「母の日」がやって来た。
 小生は、「母の存在」を考える日と決めている。歩禅の道すがら妻と沢山の対話をする。妻は3人の子供の母親である。その母親の存在が「子供達の人生」にとって大きいことを語り続けてきた。いつの間にか孫にも恵まれている「お祖母ちゃん」になっている妻も母親としての存在意識を十分に育んでいてくれるようで嬉しい。
 今朝、仏壇にお線香をあげながら、誰にも聞こえないような声で亡き母に「かあさんありがとう」と言った。親孝行の真似事すらしないまま別れてしまった母の存在を、死語の年数が多くなるごとに、生意気に育ってしまった愚息を恥じることになっている。だから、罪滅ぼしの日としたのである。「母の存在」を考える日と決めたのがせめてもの「親孝行の真似事」である。
 読者の皆さんの「母の日」って、どんな思いが過ぎっているのでしょうか?

2010/05/08

「青春時代の思い出」は今も健在


  ~美酒に酔って人の心に触れて~
 青春の日々を明確に記憶して、それを語ることは貴重である。
 二度と通らない喜怒哀楽を満載する青春の日々をたまには思い出すのも大脳の活性化には良薬なのかも知れない。苦い思い出も、時を経ていつの間にか淡い思い出として密かに残り続けるものらしい。久し振りに「思い出」を熱く話す「語り部」と会えた。琉球の青い海珊瑚礁をバックに描きながら懐かしく思い出を語る表情には五十路等年齢は無関係であることが証明された。時としてうっすらと涙が見えたような気がしたのは、感動している視聴者の思い込みだっただろうか。正面から「語り部」を見詰める。素面では、恐らく雄弁家ではないだろう、と想像しながら沖縄の話に引き込まれてしまった。
 聴いたこともない飲食店(写真参照)を会場として案内を受けた。
 小生の胃袋・門限は午後8時、就寝は10時としている風変わりな爺である。ご招待を受ける懇親会への参加も、「8時には解放して欲しい」というお願いをして了解されれば参加することにしているほどの拘りを持つ爺である。しかし、例外は当然存在する。しかし、多くはない。だから例外と言う?(笑)。
 今回は例外中の例外。呑むほどに酔うほどに青春の炎の滾りを感じながら時間を過ごした。名古屋駅まで見送ってホテルに戻った。時計は10時近くになっていた。バタンキュー・・ってこの状態。目が醒めたのが、これも「例外」。何と7時過ぎであった。我が目を疑ったが確かに7時を回っていた。出講の旅先から妻への電話定期便は定刻:7時。慌てて茅ヶ崎の自宅に電話を入れる。前夜の興奮を伝えながら「まだ酔っているのか」と思うほどの興奮状態であった。 【陰の声】う~ん、この爺もまだ若いぞ~!
 素敵な時間を満喫してリフレッシュした週末の朝。
 今日から新規事業への参画。将来の教員を希望している「教員予備軍」団との時間をいただくことになった。未だ見ぬ恋人に「お会いする」心境か?教員になってからでは間に合わないというオリジナル哲学の指南も講義の合間にはしておきたい。当然ながら採用試験の合格が当面の目的ではあるが、並行しながら時間を見て、「なってからでは遅い」心構えと人生勉強の重要性を説いて見たいと、早朝から興奮気味である。
 興奮できることは「若さ」の証明か?
 勝手に自分に言い聞かせながら午後の講義に挑むところである。奮闘の様子は、逐一、当ブログでご紹介します。ご期待下さい。
 

2010/05/07

久し振りの遠出も「近い?」

  ~やっぱり疲れる?~
 連休明けが小生の年度の仕事始め。
 今年は愛知県から。退職して「講演活動」(と他人は言う)に入ったばかりの時は、愛知県は「遠出」の地に入っていた。人間の「麻痺感覚」というのは恐ろしい。九州や四国、北海道と転戦(笑)していると、愛知県は「近い?」と感じてしまう。
 小田原~名古屋間を新幹線ひかり号は1時間13分で走る。東海道線で言うならば東京~茅ヶ崎間の所要時間が60分であり、東京駅から茅ヶ崎駅を通過して大磯駅当たりまで乗り越す時間には、小田原駅を出た新幹線は名古屋駅に到着するのである。うとうとするモノだったらうっかり寝過ごしてしまいそうな距離(時間から判断して)になってしまう。
 だから名古屋は近い。
 名古屋駅からJR~市営地下鉄と乗り継いで目的地である日進市に到着した。昨年秋に訪れているので不安も無くちょっと早めに到着できた。しかし、「超・暑かった」陽ざしだけが熱い眼差しで迎えてくれた。会場は日進市民会館(大ホール)である。市内の小中学校の教職員全員が集う年度当初の教育研究会・総会である。そのスケジュールの中の記念講演である。責任重大!
 しかし、能天気な講師はマイペース(笑)。真剣に耳を傾けていただいた聴衆の眼差しに「応えたい」思いが強すぎて空回りをしてしまい講演は不評。つまり、今年度の「仕事始め」の講演も落第点と相成りました。今日のブログではその点だけをご報告して(反省しつつ)ペンを置くことに致しましょう。

2010/05/06

「菖蒲湯」に入りながら・・・

  ~「業務開始」の朝~
 昨夜の「残り湯」で、日課の『腰湯』をしました。
 5月5日の菖蒲湯、と言えば亡くなった義父を思い出します。7年前に介護の為に早期退職して郷里に帰りました。郷里の空には大きな鯉のぼりが泳いで歓迎してくれました。「こどもの日」の夕暮れまで庭先で遠くの鯉のぼりを眺めながら過ごしていた義父がどっかへ行ってしまいました。姿が見えなくなってからかなりの時間が経ったような気がしていました。ただ、介護の必要な義母とは違って足腰も達者な義父なので外出しても不思議ではありませんでしたのでさほど心配はしていませんでした。しかし、「遅いねぇ、どこに行ったのかな」と妻と会話が始まるほど時間が経っていました。玄関先に戻った義父の足下を見て妻が大声を挙げました。どろんこの足だったのです。
 「どうしたの!?」と妻。「どこへ行っていたの?」と小生。
 普段から無口な義父は言葉を発することなく、右手に握っている「菖蒲の葉」を突きだしたのです。そしてポツリと言いました。「年寄りばかりじゃ菖蒲湯も必要なかけん(=ないから)」と言いながら風呂場に向かったのです。娘夫婦が帰ってきてくれた現実を喜んでいた証だったのです。地元の菖蒲群生地まで行っていたのです。その夜は、義父の優しい思い遣りに感激しながら懐かしい菖蒲湯に浸り、幼い頃を思い出すことが出来ました。
 そして、昨夜、風呂の蓋を開けてそこに「菖蒲」を発見しました。香りをじっくり堪能するほどの菖蒲ではなかったのですが湯舟の中で亡き義父の「あの日」の言動を思い出していました。
 今日から小生は新年度です。例年のことですが出向(出講)日程の始まりです。早朝に湯治療法として『腰湯』をするのが日課です。残り湯に昨夜の菖蒲がありました。菖蒲にあやかって「勝負」できる人生のために『腰湯』を満喫しました。
 さあ、そろそろ出発します。行ってまいります!!

2010/05/05

ゴールデンウイークが終われば・・

  ~明日から県外へ出向~
 夕食を済ませて、「食後の歩禅」。
 今日の歩数は13000歩を超えている。腰痛も時間という薬が効いてきたらしい。ラジオを聴きながら
ブログを書こうとパソコンに向かう。午後7時の時点でも渋谷では20度の気温と言うではないか。急な気温の上昇には紫外線の強さも加勢する。大型連休のUターン状況がTV画面を賑わしている。毎年のこと乍ら民族の大移動は日本文化の風物詩になっている。
 そう言えば。。。(笑)。。今日は「こどもの日」でしたね。
 新聞記事を掲載しました。この現象に眉をひそめたり苦悩する年齢層はどの年代から?読者の皆さんはいかがでしょうか?
 子どもの割合は沖縄が17.7%と最も高く・・・・・・・子供の割合は世界最低水準となっている。
 この解説を読みながら時代の流れの皮肉さを感じざるを得ませんね。沖縄県の現状を考えると将来への不安と闘っている県民が「子供の割合が」最も高いのですからね。
 ゴールデンウイークが終われば、小生の「業務」が開始します。
 明日は愛知県日進市へ出向します。元気な船出をしたいと張り切っている所です。

2010/05/04

・歩禅記(28)

  ~後遺症は今日まで?~
 赤ん坊だと思っていた孫が、いつしか体重も増えていたのでしょうか。
 久し振り抱っこした孫の重さに後遺症を、今朝辺りから顕著に感じながら苦笑いの通常(爺・婆二人三脚)生活に戻りました。孫を抱ける幸せに感謝すべきのところを、老体の腰痛に振り回されている幸福な自分を責めてしまいました。早朝『腰湯』の恩恵をしみじみ感じて一日のスタート。朝食は摂らないのでお茶を飲んでから妻との歩禅。孫軍団の残骸(笑)を宅配便で発送(第2弾)するために、リュックに荷物を入れて集配センターまで歩くことにした。片道20分の歩禅。発送を済ませてから帰路を少々遠回りのコースにして歩いて帰宅した。
 最近は「食後の歩禅」を試みている。
 いつもは夕食が済んだら歩くことにしているのだが、今日は特例。知人から電話を貰ったのでご自宅まで行くことになった。夕食後に訪れるのは失礼なので夕食前に歩禅として出掛けた。今日の歩数は11000歩でありました。一晩眠ったら、明日はもう腰の痛みは消えているかな~、と能天気な爺です。

2010/05/03

ゴールデンウイークの業務完了?


  ~いや~、疲れました!~
 これは「嬉しい悲鳴」であることを冒頭にお断りしておきましょう。
 孫達にとっては、連休ともなると遠くに住んでいる「お祖父ちゃんお祖母ちゃんの家 」を訪れることは大きな楽しみなことのようである。我が子育ての時代をふり返れは反省することばかり。「遠過ぎた」実家なのでゴールデンウイークの帰省はゼロであった。孫(わが子達)と祖父母との「嬉しい悲鳴」を上げさせてあげることは全くなかった。孫達とのゴールデンアワー過ごしてみると反省ばかりが過ぎる。
 九州の親たちは寂しい思いで過ごしたのだろうなぁ~。
 「孫達がやって来る」というだけで気分も高揚して、普段のノンビリムードの爺と婆の足取りまでも軽くなってしまう現実を、見詰めれば見詰めるほど「反省の思い」に潰されそうになってしまう。それにつけても、孫軍団の成長には目を見張る。5人の孫も末孫が2歳になった。遊びに加われるようになっている。5人の孫達が集結すると「子どもワールド」が出来る。興奮した口調で大きな声が狭い部屋中に響き渡る。言動にその成長の跡を実感しながら「若い親たち」の日頃の子育て奮闘ぶりには敬意を表しなければなるまい。
 後、数年経ったら・・・?
 爺婆は、孫達の成長に反比例して更に老化する?孫にまで面倒を看てもらうようになってしまうのだろうか。嬉しいような哀しいような複雑な心境は、正真正銘の「加齢なる業」(笑)か。
 下段の東京タワーの大展望台から撮った建設途中の「東京スカイツリー」をご覧下さい。工事も着々と進んでいるようだ。こんなにハッキリ見えるような高さになっている。東京タワーから東京スカイツリーへと、この世界にも世代交代がやって来ている。
 上段は横浜八景島シーパラダイス。10年も前にオープンした有名なアミューズメントパーク。園内を喜んではしゃぎ回る孫達も、待ち時間を考えるとウンザリするほどの混雑ぶり。半ば諦めさせる説得に親は一苦労。陽ざしの強さはあったが、東京湾を吹き抜ける浜風の冷たさに日陰では肌寒さを感じるほどだった。数個のショーを楽しむだけで帰宅した。小学生になっている孫達には明らかに不満である。乗り物ぐらい乗りたいよ~、との眼差しが脳裏に焼き付いている。
 お祖父ちゃんのつぶやき:自分で来ることが出来るようになったら楽しみなさい。生きていたら(笑)、お小遣いぐらいあげるからさ!
 孫軍団が去って行った閑かな朝。
 この連休が明けるとノスタルジーに浸ってはおれない、少しだけ気を引き締める爺である。
 

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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