~「業務開始」の朝~
昨夜の「残り湯」で、日課の『腰湯』をしました。
5月5日の菖蒲湯、と言えば亡くなった義父を思い出します。7年前に介護の為に早期退職して郷里に帰りました。郷里の空には大きな鯉のぼりが泳いで歓迎してくれました。「こどもの日」の夕暮れまで庭先で遠くの鯉のぼりを眺めながら過ごしていた義父がどっかへ行ってしまいました。姿が見えなくなってからかなりの時間が経ったような気がしていました。ただ、介護の必要な義母とは違って足腰も達者な義父なので外出しても不思議ではありませんでしたのでさほど心配はしていませんでした。しかし、「遅いねぇ、どこに行ったのかな」と妻と会話が始まるほど時間が経っていました。玄関先に戻った義父の足下を見て妻が大声を挙げました。どろんこの足だったのです。
「どうしたの!?」と妻。「どこへ行っていたの?」と小生。
普段から無口な義父は言葉を発することなく、右手に握っている「菖蒲の葉」を突きだしたのです。そしてポツリと言いました。「年寄りばかりじゃ菖蒲湯も必要なかけん(=ないから)」と言いながら風呂場に向かったのです。娘夫婦が帰ってきてくれた現実を喜んでいた証だったのです。地元の菖蒲群生地まで行っていたのです。その夜は、義父の優しい思い遣りに感激しながら懐かしい菖蒲湯に浸り、幼い頃を思い出すことが出来ました。
そして、昨夜、風呂の蓋を開けてそこに「菖蒲」を発見しました。香りをじっくり堪能するほどの菖蒲ではなかったのですが湯舟の中で亡き義父の「あの日」の言動を思い出していました。
今日から小生は新年度です。例年のことですが出向(出講)日程の始まりです。早朝に湯治療法として『腰湯』をするのが日課です。残り湯に昨夜の菖蒲がありました。菖蒲にあやかって「勝負」できる人生のために『腰湯』を満喫しました。
さあ、そろそろ出発します。行ってまいります!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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