
私事ではあるが、就職に失敗して、大きく進路変更をした年(1967)。
恩人のお力添えをいただいて小田原市内の私立高校で硬式野球の監督をお引き受けして「新しい人生」の門出をした年(1968)。この時代に、神奈川県の高校野球界では注目の球児だったのが島野修氏であった。ドラフト1位指名当時のスポーツ紙には喜色満面の故人の顔が大きく掲載されていた。新米指導者にしてみると「憧れと夢」を与えてくれた人物の一人であった。彼を慕って、茅ヶ崎市内の中学校からも優秀な選手が、敢えて同じ高校へ入学した。その選手も高校卒業後、早稲田大学に進学し一流プレーヤーとして脚光を浴び始めた時点、試合中のアクシデントで呆気なくこの世を去ってしまった。彼も地元球児の憧れのスターだった。
その後、新聞記事に我が目を疑ったのは、島野氏の転身を知った時が初めてだった。
スター選手からの陥落?そんなマスコミ的な表現は決して出来ない。人生の無情さと機微を痛感したモノだった。そして、この記事。多感な青年時代、「甲子園出場を目指していた」若輩監督の小生は大きな夢をもらった選手である。力量のない小生は、直ぐに世の荒波に呑まれてしまって高校野球界からは身を引いたが、忘れられない青春のスターであったことは事実である。
昨日この記事を読んで事実を知った。空しさと哀しさで潰されそうになった。早過ぎないかい?と声を掛けたくなってしまった。ともあれご冥福を心から祈るばかりである、
内容も質も大きく違うだろうが、我が歩んできた教師「人生」も大小はあれども『夢を与えられる』職業であると確信している。しかし、今となればその現職からかなり遠ざかった年齢になってしまった(笑)。少年時代に掲げる大きな夢が、更に膨らむような指導ができる教員であって欲しいと、後輩諸兄に願うばかりである。
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