2010/05/12

『夢を与えられる』仕事

  ~早過ぎないかい?~
 私事ではあるが、就職に失敗して、大きく進路変更をした年(1967)。
 恩人のお力添えをいただいて小田原市内の私立高校で硬式野球の監督をお引き受けして「新しい人生」の門出をした年(1968)。この時代に、神奈川県の高校野球界では注目の球児だったのが島野修氏であった。ドラフト1位指名当時のスポーツ紙には喜色満面の故人の顔が大きく掲載されていた。新米指導者にしてみると「憧れと夢」を与えてくれた人物の一人であった。彼を慕って、茅ヶ崎市内の中学校からも優秀な選手が、敢えて同じ高校へ入学した。その選手も高校卒業後、早稲田大学に進学し一流プレーヤーとして脚光を浴び始めた時点、試合中のアクシデントで呆気なくこの世を去ってしまった。彼も地元球児の憧れのスターだった。
 その後、新聞記事に我が目を疑ったのは、島野氏の転身を知った時が初めてだった。
 スター選手からの陥落?そんなマスコミ的な表現は決して出来ない。人生の無情さと機微を痛感したモノだった。そして、この記事。多感な青年時代、「甲子園出場を目指していた」若輩監督の小生は大きな夢をもらった選手である。力量のない小生は、直ぐに世の荒波に呑まれてしまって高校野球界からは身を引いたが、忘れられない青春のスターであったことは事実である。
 昨日この記事を読んで事実を知った。空しさと哀しさで潰されそうになった。早過ぎないかい?と声を掛けたくなってしまった。ともあれご冥福を心から祈るばかりである、
 内容も質も大きく違うだろうが、我が歩んできた教師「人生」も大小はあれども『夢を与えられる』職業であると確信している。しかし、今となればその現職からかなり遠ざかった年齢になってしまった(笑)。少年時代に掲げる大きな夢が、更に膨らむような指導ができる教員であって欲しいと、後輩諸兄に願うばかりである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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