~専門教科の指導法~
どちらかと言うと、「行き当たりばったり」方式。
こう表現したことを妻が知ったら苦笑いしながら「したり顔」になるだろう。行き当たりばったりは、何を隠そう、小生の人生そのものだからである。40年間も「苦楽を伴にした」夫婦であるならば相互の特徴(当然ながら特長も)を知り尽くしているからである。
実は、専門教科の指導法をメインにして講義をすることになっている。来月大きなセミナー(愛知県小牧市)への出講することになっている。今回は二度目の挑戦(笑)である。講師陣の質の高さを想えば辞退しても不思議ではない。敢えてお請けしたのであるから何か「取らぬ狸の皮算用」があるのかも知れない?いいえ、何もございません。前回の罪滅ぼしのために(勇気を奮っての)老いの危険な挑戦なのである。主催者の意図とは相当なズレになっているかも知れない。
ところが「行き当たりばったり」の授業しかやって来なかった元・教師とすれば、格調高い本セミナー(「教師力アップセミナー」という)で、背伸びをしながら見栄を張って「講義する」にはそれ相応の準備というモノが必要となることぐらいは分かり切っていることである。ところが、ついに今日まで、その材料を整理することすらせずに、新規事業とやらへの参画等へと話題をそらして来てしまった。
外は朝からの雨模様。
歩禅も何もできない。そう思った瞬間、「これから創るぞ~!!」と自らに檄を入れたのである。「思い立った」と言うことである。午前8時過ぎから資料を集め始めた。6畳間の狭い書斎は「資料候補の山」と化した。お茶を運んでくれる妻の足の踏み場もないほどに散乱状態。続いて、パソコンに保存している「資料館」というフォルダーからのプリントアウトに移ったのが正午頃。昼食を済ませる。能天気な爺は、散らかったままでも午睡は可能である。いつもより心持ち少なめにして午後の作業に移行する。
講演(講義)は教員の視野から判断すれば授業である。
120分の講義時間に「使える」資料づくりは授業の「いのち」である。数年間の未整理資料にも陽の目が届いた。そんな資料をA4縦版にまとめてみた。17ページに渡る資料集となってしまった。
ほぼ完了(並べただけ?)と考えるところが「行き当たりばったり」式人生哲学者の哲学たる所以か。
それでも時々は真面目に考える。専門教科に絞っての講義は焦点ボケが出来ない。聴講者は「そのツボ」を聴きに参加費を出すのである。「無駄金を、また払わせてしまったらどうしようか」。珍しく小心な心になってしまう夕暮れだ。しかし、(多分)、明朝にはこの気分が降る雨に流されて「何とかなる~」と変心するから始末悪い。ともあれ、小生にしては久し振りの大作が出来つつある。当日の奮闘を・・・乞うご期待!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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