~「教員の卵」達との出会い~
昨日(8日)始まりました。
この業務の内容は現職時代から「とても気になる」存在感がありました。毎年度、フレッシュな教員集団と出会いながら感じることが多かったのです。自身の初任者時代との比較から始まるのは人情でしょう。決して悪い始発では無いとは思いますが、その間を流れている「時間的空間」の環境条件に大きな差異があるので的確な比較が出来ないことは当然のことです。
教員採用試験受験者を対象とする本「講座」を請け負うことにしました。
やってみたかった!そんな思いでこの開講日を待っていました。その分だけ(?)勝手に力んでしまう自分を抑えることも出来ず受講者にとっては初日から拷問を受けた感じになったことでしょう。経営本部の段取りに従って、受講者の自己紹介が設定されていました。
大学新卒の受講者はゼロ。
多くの受講者が、実社会の経験者です。当然ながら現職の臨時的任用教員も大勢います。正真正銘の初々しさが無い半面、「経験値」から自己紹介をするレベルの違いを実感しながら聴いていました。後日の話材にするために、デジカメで動画を撮りました。数名の遅刻者は自己紹介が割愛されましたがほぼ全員の「自己紹介の場面」を記録することが出来ました。
東京で開講されている首都圏講座会場担当のベテラン講師陣(全員が元・校長)のお助けをいただきながら、初日のスケジュールを終えることが出来ました。経験者講師のメッセージには思わず聴き入ってしまいました。皆さんの思いが、「出来るだけ良い人材を学校現場に送り込んであげたい」という情熱になって受講者に向かっての熱い口調になって会場に熱気を運んでいただきました。
良い勉強が出来るぞ!!と小躍りしながら写真の紅葉坂を転がるように(笑)降りて、JR桜木町駅まで辿り着きました。
90分間の講義。真剣に聴き入る受講者。指示に従って書き始める。走らせるペンの音が会場内の雰囲気を変えてしまうほどの「風音」。脳裏を駆け巡る「責任重大」という文字。横浜から30分間の東海道線車中は居眠りすることさえ勿体ないほどでした。受講者の一人でも多くが、目標の「教職」に就いて欲しいと祈るばかりです。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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