2010/05/08

「青春時代の思い出」は今も健在


  ~美酒に酔って人の心に触れて~
 青春の日々を明確に記憶して、それを語ることは貴重である。
 二度と通らない喜怒哀楽を満載する青春の日々をたまには思い出すのも大脳の活性化には良薬なのかも知れない。苦い思い出も、時を経ていつの間にか淡い思い出として密かに残り続けるものらしい。久し振りに「思い出」を熱く話す「語り部」と会えた。琉球の青い海珊瑚礁をバックに描きながら懐かしく思い出を語る表情には五十路等年齢は無関係であることが証明された。時としてうっすらと涙が見えたような気がしたのは、感動している視聴者の思い込みだっただろうか。正面から「語り部」を見詰める。素面では、恐らく雄弁家ではないだろう、と想像しながら沖縄の話に引き込まれてしまった。
 聴いたこともない飲食店(写真参照)を会場として案内を受けた。
 小生の胃袋・門限は午後8時、就寝は10時としている風変わりな爺である。ご招待を受ける懇親会への参加も、「8時には解放して欲しい」というお願いをして了解されれば参加することにしているほどの拘りを持つ爺である。しかし、例外は当然存在する。しかし、多くはない。だから例外と言う?(笑)。
 今回は例外中の例外。呑むほどに酔うほどに青春の炎の滾りを感じながら時間を過ごした。名古屋駅まで見送ってホテルに戻った。時計は10時近くになっていた。バタンキュー・・ってこの状態。目が醒めたのが、これも「例外」。何と7時過ぎであった。我が目を疑ったが確かに7時を回っていた。出講の旅先から妻への電話定期便は定刻:7時。慌てて茅ヶ崎の自宅に電話を入れる。前夜の興奮を伝えながら「まだ酔っているのか」と思うほどの興奮状態であった。 【陰の声】う~ん、この爺もまだ若いぞ~!
 素敵な時間を満喫してリフレッシュした週末の朝。
 今日から新規事業への参画。将来の教員を希望している「教員予備軍」団との時間をいただくことになった。未だ見ぬ恋人に「お会いする」心境か?教員になってからでは間に合わないというオリジナル哲学の指南も講義の合間にはしておきたい。当然ながら採用試験の合格が当面の目的ではあるが、並行しながら時間を見て、「なってからでは遅い」心構えと人生勉強の重要性を説いて見たいと、早朝から興奮気味である。
 興奮できることは「若さ」の証明か?
 勝手に自分に言い聞かせながら午後の講義に挑むところである。奮闘の様子は、逐一、当ブログでご紹介します。ご期待下さい。
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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