2010/05/27

白衣のエースがノーヒットノーラン




 ~立派な「歯科医」に!~

  学校教育に携わることだけで人生の大半を過ごした小生です。失敗はあっても成功と名の付くモノは殆どありませんでした。その教育界を辞して早や6年間も過ぎています。「教員としてのご褒美」には無縁の余生を過ごしています。
 そんな元・教員に今日の新聞から「金メダル」を頂戴しました。
 高校・中学校の教員として「部活動」を担当しました。ソフトボール部と野球部でした。運動がどんなに上手でも「人間として」立派でない限り社会では生き抜いていけない、と耳にタコができるほど部員に説き過ぎるほど説きました。 取り分け同性である「野球部員」には、その檄はきついモノだったそうです。「中学生にそこまで要求するか」と言われる程まで「部員としての生き方」に言及したようです。学生の本分を忘れて「野球だけ出来る部員」だけは育てたくなかったのです。小生は「高校野球特待生」の表現を極端に嫌いました。学問が「野球選手」の外にあることに納得しなかったからです。生意気にも当時の「部訓」なるものが存在しています。(写真・下)制作年度をご確認下さい。この時代に育った選手たちは今年は45歳前後です。
 今日の新聞記事(写真・上)には、当時の頑固な教えをスンナリと実践していてくれる若者が載っていました。哀しいばかりの新聞記事に悔し涙を落としてしまった爺も、この記事で「金メダル」を掛けていただいたような有頂天になってしまいました(金メダルとは無縁ですが)。
 この選手こそが、数十年前に描いていた「育てたい部員」なのです。立派に成長して周囲に大事にされることを熟知した憎いほどの「活躍ぶり」に嬉しい思いが全身を駆け巡ってしまいました。自分のことのように嬉しくなる記事です。
 こんな嬉しい記事を提供してくれた「歯医者さんの卵」とそれを取材した記者の方に「元気をありがとう」と申し上げたい。そして、立派な歯科医と素晴らしい新聞記者になられることを期待していることをこのページを借りて申し添えておきましょう。  

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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