教職を定年退職した老体が、ご縁をいただいて日本公文教育研究会の顧問として仕事をしている。 校長職時代にも、市教委の管理職の日々にあった時も同じ考えを持ち続けている。それは「教育する」という稼業において「無くてはならない存在」が「教育される」子供達である、という簡単な事。そして、そこに集う大人集団には大きな教育理念が共通している筈である。それは「心身共に健やかな成長」を誘う基本理念である。つまり、教育とは「人を育てる」という大命題の下で、それぞれのポジションから力を発揮すれば良い、という単純な態勢ではないだろうか。とすれば、大人集団が妙なバリアを作ったり、外部との接触を狭い了見で阻害してしまったら、甚大な損害を被るのは子供達ではないか。いかがだろうか?この注視点を確認し合って理解さえすれば簡単に教育は前進することである。しかし、現実の問題としては何ら進展した証拠は未だに見当たらない。
公立学校の教員と民間教育産業(日本公文教育研究会)の指導者とが一堂に会する。そして、同一テーブルで「子供達の健やかな成長のため」の話し合いを持つことはそんなに難しいモノなのか。双方の草鞋を履いている小生にしか出来ない「機会・場所」作りだろうと考えていた。
やっと実現。写真下はその会場の雰囲気である。
進行役の局員が「話し合いを終わりにしてください」との指示が通らないほどの熱気。全てのスケジュールが終わっても起ち上がらないで話し込んでいるテーブルもある。移動して昼食会場に行っても話題は尽きることもなく続く。
子供達のことが話題に上ると指導的立場の人種には「官も民もない」という小生の理念が実に見事に実証された。嬉しい始発点であることを実感できた。全国展開が夢である。
半年ぶりの浜松市の訪問。
駅前の開発?が急転していて雰囲気が随分変わっていた。少々面食らってしまった。日々一刻一刻と確実に時は流れていることを感じながら駅前に佇んだ。この浜松市で主宰する『響の会』が起ち上がってから早10年の歳月が流れている。年間3回実施の浜松『響の会』ではあるが、実績は大きい。帰路の新幹線の車中でも10年前を懐古してしまった。「浜松までは遠いなぁ~」の感覚は今では全くない。そんな親近感も実績が裏付けてくれているようだ。続けることの偉大さ、に満足感が伴い充実した終日であった。写真・上は、恒例の懇親会後の記念撮影。デジカメの画面を見ながら「感無量」の老脳には涙腺が緩む指示があったようだ。過ぎ去る夜の景色に隠れて感謝の涙を拭いた。日本公文教育研究会・浜松事務局関係者および浜松『響の会』メンバーに心から感謝の意をお伝えしたい。
【追記】次回は11月6日です。公立学校の先生達の自主研究会を公文・事務局の講習会場を無料で使用させていただける幸せも『響の会』会員は心から感謝していることでしょう。
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