2010/05/09

「母の存在」を考える日

  ~今年もやって来ました~
 小生の母はもうこの世にはいない。
 生きていた日々にも「母の日」に特別の待遇をしたことも少なかった。母親の存在感は大きかったはずなのにセレモニーらしきモノをしたのは小学生の頃「おかあさんありがとう」と言う作文を書かされて(笑)持って帰って手渡したぐらいだろうか?文字の読めない母親は厄介だった。自分の書いた空々しい作文を本人の前で読まなくてはならなかったからである。どんな気持ちで当時の母親は聴き取ったのかも記憶にない。これって親不孝?
 妻に届いた「母の日」の花は今年はブーゲンビリア。いつもとは違う。
 これは沖縄にゆかりのある花なのかな?4月に妻と二人で沖縄まで旅行した。小生の実父が戦死した場所を訪れる旅であった。3人のわが子達から結婚40周年の我々夫婦への贈り物だった。その沖縄で見事に咲いていたのがこのブーゲンビリアである。感涙にむせんだ沖縄の海と花を思い出してしまった。心遣いに妻も感動しているようだ。
 また、今年も「母の日」がやって来た。
 小生は、「母の存在」を考える日と決めている。歩禅の道すがら妻と沢山の対話をする。妻は3人の子供の母親である。その母親の存在が「子供達の人生」にとって大きいことを語り続けてきた。いつの間にか孫にも恵まれている「お祖母ちゃん」になっている妻も母親としての存在意識を十分に育んでいてくれるようで嬉しい。
 今朝、仏壇にお線香をあげながら、誰にも聞こえないような声で亡き母に「かあさんありがとう」と言った。親孝行の真似事すらしないまま別れてしまった母の存在を、死語の年数が多くなるごとに、生意気に育ってしまった愚息を恥じることになっている。だから、罪滅ぼしの日としたのである。「母の存在」を考える日と決めたのがせめてもの「親孝行の真似事」である。
 読者の皆さんの「母の日」って、どんな思いが過ぎっているのでしょうか?

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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