
先ほど親戚が帰って行くのに駐車場まで見送った妻が戻ってきた瞬間、「さむ~いっ!」と一声。積もるこそしないが朝から雪が舞っているのだから気温は大凡の察しはつく。南国生まれ、育ちの小生には雪の積もった生活環境は全く想像が出来ない。だからこの新聞記事を読んでしみじみと実体験の無さが力にならないことが良くわかる。
戦後のわが国の教育では、「自主性を尊ぶ」主義の理念が蔓延ったような気がしてならない。その結果、が皮肉にも「指示待ち人間」を大量生産したとの非難に結びついている。なぜだろうか?
学校教育現場では、国の方針に従順に、「自ら」「進んで」「自主的に」というまくら言葉を用いたキャッチフレーズやスローガンを多掲げて日夜苦労しているのが今の立場からは冷静によく見える。『自ら課題を見つけ、自ら解決する力』という途轍もない大きな目標が文科省から掲げられると、どの学校でも「自ら」という表現が使用され、学校教育目標にも取り上げられて子供達と保護者に広報されている。
どのような理解を土台にして、その力を付けてやれるのだろか?
義務教育期間に該当する7歳から15歳までの「子ども達」が、自主的にその力を身に付けられるとはとても思えない。そのためには、学ぼうとして眼を爛々と輝かせる子供達の目の前に立つ教師という「オトナ」への課題として捉えれば国家の方針も理解し易くなるのではないか。つまり、教師に「教える力」が無い限り、子供達は学べない、ということに到達できないだろうか。子どもは未熟なままでもオトナ(年齢的に)になっていく。義務教育期間では達成できない自主性も、その後の体験や経験で年齢なりの成長は期待しても良いのではないだろうか。この新聞記事がそれを証明している。
部員の中には南国・石垣島出身者が4人。・・・・
大学生というオトナ集団への評価は「恩返し」という文章表現でまとめてあるが、体験(実習)という手段で「教えられて」、大学生になって初めて雪国の生活の苦労を「学ぶ」ことが出来たのではないか。『学び』が教科学習の成果としてだけ「自主性を伸ばす」ための力点になったことは否めない。しかし、手立ての一つであったことは事実である。
教えるオトナ集団の力量が不足している。
大人社会の幼児性は目を覆うばかりである。ただ、誤解を招きそうであるので付記しておくが、「教える」とは、手取り足取りで指示を連続させて「教え込む」事ばかりではない。教える方法は、学ぼうとする相手の特長を読み込んで手立てを考えなければ成果は期待できない。それが「大人の条件」であることも追加しておこう。「背中で教える」手法は、「日本モノづくり文化」の伝承手段として存在しているではないか。「教える」ことを工夫するのも「学べる」大人なのである。ここまで執拗に述べておきたい。
『心ぽかぽか』ニュースとして取り上げた新聞記事にしては少々きつい要求になってしまったと、反省しつつも・・・・ 「教えないと学ばない」教育理念には変わりはない。
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